そのような病名をつけられて34年前私はこの世に産まれて来ました。
自分ではっきりと病名を知ったのは中学3年の時の口蓋裂の修正術をする為に入院した時にたまたま手術書類を見つけた時でした。
それまではお腹の中でケガをしてしまったと聞かされていたし、能天気な私は深くは追求することもありませんでした。
今は4Dエコーや出生前診断で障害であるかを調べることができます。
母は私を妊娠してすぐに風疹にかかってしまいました。
ただの風邪だと思い妊娠してることも気づかず風邪薬を服用してしまったと後々聞かされました。
妊娠初期ということもあり、先生は赤ちゃんが助かる確率は極めて低いし、奇跡的に生まれたとしても重度の障害を抱えて生まれてくる可能性が高いからと堕胎を勧めたそうです。
けれど母はどうしても産みたかったそうで大きな病院から小さな個人病院に変えて出産を選びました。
結果、私は産まれてすぐに大きな病院に搬送されたそうです。
産まれた時は両目も見えなかったそうです。
徐々に右目が回復してきて、結果左目だけが弱視となりました。右目を塞いだ時に光を感じる程度なのでほとんど日頃は使ってません。なのでよく距離感が掴めずぶつかります。
産まれたときからなので特別に不便はないけれど、千葉や大阪の有名なテーマパークの3Dのアトラクションは何一つ面白くないです笑
それが唯一損してるなと思います。
私の家族は私を見て絶望したそうです。
特に母は生まれてきた私を受け入れることが出来ませんでした。
年子の弟ばかりを可愛がって私は放ったらかしだったそうです。
母乳があげられないため、ひたすらスポイトでミルクだけをあげる日々。
当時は父の実家に二世帯住宅で住んでいたのですが、祖父母はそんな母を責めたそうです。
「母親のあんたが可愛がらないで誰が可愛がるの?母親のあんたが面倒見ないで誰が見るの?」
大人になってから祖母に聞かされました。
きっと祖父母の性格上、病気になったのもお前のせいだと言ってたのだろうなと思います。
父もそんな私を避けるように毎日遅くまで家に帰らず女に走ってたそうです。
結果、産まれて2年後に母は出て行き、3歳になる3日前に両親は離婚しました。
母は弟だけを引き取りたいと望んでいたそうです。
でも父はそれを拒みました。
私の母は私を最後まで受け入れる事が出来ませんでした。
父の実家に一冊だけ口唇口蓋裂の本がありました。
誰が買ったかは分からないけれどきっと母が買ったものだと思います。
今はネット社会なのでいくらでも情報が手軽に調べる事ができる。
でも当時はきっと今よりもっと情報は少ないし誰にも相談できない中で、母は母なりにたくさん苦しんだと思う。
もっと家族が協力的だったら。自分があの時こうしていたら。
沢山の(~たら)(~れば)をどれほどの回数考えたか今となっては分からない。
障害があっても私は頑張って育てる!
もしかしたら最初はそんな想いでいたのかもしれない。
でもいざ産まれたら想像以上の我が子の姿にきっと受け入れられなかったのかもしれない。
それは母にしか分からないこと。
ただ私は今でも母に愛されずに捨てられた
その呪縛からなかなか抜け出せずにいる。
母の温もりを私は知らない。
育てる覚悟がないなら、愛せる自信がないなら堕ろしてくれた方が良かった。
産んだなら最後まで一緒に寄り添って欲しかった。
一緒に闘って欲しかった。
これはきっと私が死ぬまで消えない感情だと思う。
ちょっと疲れたので休みます

