物心ついた頃から病院通いが当たり前になっていました。
眼科、形成外科、歯科、耳鼻科、バラバラの日もあれば1日でいくつかの科を回らなきゃいけない日もあり、しょっちゅう熱を出していたりしていたので幼稚園や学校を早退や遅刻、休む日も多かったです。
入院はなるべく学校の大きな休みを利用したかったけれど、それはどの患者も同じこと。
それは大きくなるにつれて入院の度に休まなきゃいけないのが不安で仕方なかったです。
休めばそれだけ勉強もみんなと遅れてしまう。
イベントも練習はするのに本番は参加できないことも多々ありました。
幼稚園の時に、ピアノを習ってたのですが発表会の為にたくさん練習したのに本番前に入院になってしまい、当日は退院できたのに練習出来てなかったので観客として観に行って「いっぱい練習したのに何で私はあそこにいれないの?」とそこでピアノへの情熱が一気に冷めてしまったんです。
頑張ったのに!って子供ながらに挫折してしまったんですよね。そこからやる気が無くなって辞めてしまいました。
18歳まで通院や入院していた病院は、神奈川のこども医療センターという病院で病気を抱えた子供達が沢山いました。
形成外科では自分と同じ病気なのかな?って思う人もいたし、入院すれば心臓病の子、腎臓病の子、それこそ命に関わる病気の子も沢山いました。
手術は苦痛だったけれど入院は苦ではなかったんです。
というのも不謹慎かもしれないけれど、病院の中に差別というものを感じなかったから。
日常生活は差別だらけ。
私は16歳の時まで左右の目の高さが見事に違かったので目に見えて分かる奇形児でした。
だから外を歩けばいつも誰かに見られてる。
学校でも同級生やその親、先生からあの子は普通じゃないというレッテルを貼られていました。
継母によると元々は誰にも物怖じしない無邪気な女の子だったそうです。
大きくなるにつれ、周囲の自分を見る目を感じ取るようになり、継母の後ろに隠れながら初対面でいつも「この人は敵なの?味方なの?」って顔色を伺うようになり懐くまで最低でも半年以上かかってたそうです。
でもそこの病院は誰もが何かを抱えて生まれてきている。
大なり小なりあるかもしれないけれど、子供もそのお母さんも病気と闘うという意味ではみんな一緒だったんです。
そこに偏見を感じたことは私はなかった。
だから手術は辛くても入院自体は沢山の友達が出来る感覚で楽しかったのです。
おやつも出たし、夜は元気な子は病院内を探検出来たり、
私の家族はお見舞いには滅多に来なかったので面会時間中は孤独だったけれどそれ以外の時間は不謹慎だけど唯一私にとって楽しい世界でした。
外の世界もここと同じだったらいいのに、どんなにそう思っただろう。
言葉で言われ、態度で示され、汚いものを見るような目で心をえぐってくる。
私はいつの間にか前を向いて歩くことが出来なくなった。