白河の関考

ついに真紅の優勝旗が白河の関を越えた!

東北の高校球児の悲願

いや全ての東北人の悲願達成である。

かつて白河以北一山百文と蔑まれた戊辰戦争敗北の歴史を準えている。


仙台育英の地元仙台にある河北新報は白河以北一山百文に反発して命名された。旧盛岡藩士の平民宰相原敬は自らを「一山」と号した。白河以北一山百文を跳ね返そうとの意志。


甲子園大会の真紅の優勝旗が白河の関を越えたことは、日本の歴史に大いなる足跡を残す。

東北は変わる。強い東北、先進的な東北。東日本大地震を乗り越え復興を超えた発展を目指す。


かつて明治期以降も東北開発は日本を先進国にするための切り札だった。

大久保利通の郡山安積疏水、八郎潟干拓、只見川電源開発、青森、宮城、福島の原発もその一つ。


白河以北一山百文という言葉は、東北の発展可能性を期待した言葉なのだと思う。

そのことがが証明される日が来る。104年越しの仙台育英の優勝はその序章なのだと思います。