抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムとラディカル・フェミニズムとが対立している。フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。19世紀になると、女性の権利を求める運動が組織化された。多くの場合は、これ以降の動きを指してフェミニズムと呼ぶ。もともと日本人の大半を占めていた農家では、「よく働くこと」「働き者」が、良き女性、魅力的な女性の要件であった。人間の場合はそれぞれを「男性」「女性」あるいは「おとこ」「おんな」などと呼ぶ。人間の場合は、生物としての性別を前提としながら、加えて精神的・文化的に、また社会的な立場としても異なった存在として成長する。この意味での性の区別を生物学的なそれとは区別してジェンダーと呼ぶこともある。なお生物的な性と性自認が著しくずれたり反転しているケースが性別不快症候群や性同一性障害、生物学的な性の形成そのものが定型的でないケースが性分化疾患である。都知事側があくまでも発言の非を認めない態度に終始したため、原告113名が慰謝料を求めて損害賠償請求訴訟を提起したが、裁判所は発言の違法性と不適切性は認めたものの、都知事の発言は女性全体への侮辱にすぎず、原告ら個々人の名誉を傷つけたものではないとして請求を棄却している。尚「おばあさん仮説」に基づいた発言であるが、実態は全く異なる。
詳しくは個々の項目を参照のこと。
フェミニズムは19世紀の運動や文化に大きく影響を与えた。19世紀後半から20世紀、特に第一次世界大戦の間に、多くの国で女性の参政権が認められた。ニュージーランドでは、婦人参政権論者ケイト・シェパードの助けによって、1893年に最も早く女性参政権が認められている(なお、アメリカで認められたのは1920年、また日本では1945年である)。女性学は、当初1960年代、フェミニズムの第一波が政治的な影響力をもったグループとして大学紛争の中で台頭してきた時に、他の学術領域からやや特記され区別されたかたちで登場し、1970年代に至り、多くの大学で女性学についての科目や講座が設けられるようになった。学問分野として確立されたのは1982年、上野千鶴子による。精神分析学などで言うところの「“固着した”性行動」は個々の性生活に影響を及ぼし、法律が定めることから逸脱した行動を引き起こすこともしばしばである。TPOを無視した過度な露出や逸脱した性的アプローチは、嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント)や性犯罪とされることもある。
1996年4月、城西国際大学が日本で最初の女性学専攻の大学院を開設した。
この時期のフェミニストとしてはヴァージニア・ウルフや、ジークムント・フロイトが取り上げた患者「アンナ・O」こと、ドイツ系ユダヤ人女性ベルタ・パッペンハイムなどが知られる。
フェミニズムを主張する人のことをフェミニストと呼ぶ。