アフリカに忘れられない人がいます。


2007年の3月から9月まで私はモザンビークの北部に位置しするカボデルガード州の村Bilibizaですごしました。

タンザニアとの国境が近い近隣では大き目な村でしたが、村から一番近い幹線道路まで30キロ

州都であるペンバまでは最短で5時間という、田舎すぎることはない村(アフリカ感覚)です。



ヴァイダは美人で働き者で聡明な女の子

私と仲間が住んだBilibizaの家の隣に、親戚一家と住んでいた彼女はたった19歳でこの世を去りました。


当時、とあるNGOのインターンとしして活動していた私たちには調査旅行というものが許されており、その調査力中に偶然フェリーの船着き場で出会ったのが、生きている彼女を見た最後になりました。

これから、家族で旅行するのだと楽しそうにしていた彼女。

調査旅行から帰り、彼女の死を知らされた私は、伝達ミスが往々にして起こりえる田舎のこと。

もしかしたら情報ミスかも!と一縷の望みをかけ彼女の帰りを待っていましたが

1ヶ月後、交通事故にあった彼女が重傷のため事故に遭った州の病院で受け入れができず

2つの州の病院をたらいまわしにされた後、亡くなった事を知りました。

日本の県と違い、州から州への移動に半日以上かかかるアフリカの道と距離です。

設備の悪い救急車で、雨季の荒れた轍がそのまま固まった乾季の道を傷ついた身体で運ばれるのはどれほど苦しかったか。

何もできずに死んでいく娘を見守っていた彼女のお母さんはどれほど悲しかったか。


みんな幸せに暮らしているこの国の農村に、急激な援助がひつようなのだろうか?

そんな風に考え始めていた私にとって彼女の死は、ただただ衝撃でした。


もし彼女も事故が日本で起こっていたら、病院の受け入れは間に合っていたかもしれない。

そんな苦しい死に方をせずにすんだかもしれない。

援助の在り方は様々で、全ての援助が正しいわけではありません。

それでも、インフラさえ整っていれば失われずにすむ命もあるのです。


彼女と最後に会った時にとった写真が有りました。

彼女と、お母さんと、彼女の甥と私、4人で撮った写真でしたが

今は残っていません。


私が、自分の映りが悪いからと消したのです。


彼女の最後の写真だったかもしれないのに、

人生最初で最後のお母さんとの写真だったかもしれないのにと、

今でも消したことが悔やまれてなりません。


アフリカを思う時、彼女を思い出します。

突然断たれる命があることを思い出します。


私はおそらく一生彼女を忘れることはないでしょう。