エリザベート渡韓記 α・シアトート | born free one kiss one heart

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舞台俳優のまゆたんです。ただ今俳優活動を休止し、ジェジュンを本気で応援しております。






エリザベート舞台レポの前に、シアトートを観て感じたことを
先に書いておきます。

昼と夜2回観て、終演後にトニーさんのお店でも話したし
先日皆で集まってエリザの話をしてきました。
パンフとCD借りて、読みあさって聞いてみました。




私、XIAHZARTの時も感激し過ぎて、
呼吸困難になるかってくらい嗚咽をあげて泣いたですよ。
結局初演は4回観て、再演は2回観て、
初演の後頭から離れなくて動画観まくったり
音源聴きまくって思い出しておうちで号泣したりしてました。


そのジュンスのトート。


ドヤメンにはミュージカルファン(それもかなり筋金入り)が3人もいて、
濃いお話が聞けて良かった。


そのドヤメンたちには敵わないし、ミュージカルを沢山観ている方には
到底敵わないけれど、私は舞台に立つ役者で
その視点からいつも観ることにしています。
間違っているかもしれないけれど、私が感じたことを
私の思う解釈で書いてみます。

だから、「違うよ」ということもあると思います。






写真と、いくつかの上げてはいけない動画で観ていたから
どんな感じのトートかはビジュアル的に知っていたけれど
あの日、上手から吊り橋が降りて来て音楽が流れて
ジュンスが歌いながら出てきたただけで震えた。
それは私がファンであるという贔屓目があったからではなくて

演出と音楽の妙...

ジュンスのハスキーな声と、この歌のメロディーが
今そこにあった世界を変える、良い結びつきになっていた。

ジュンスが自分で言っていた様に

「歩き方から変えている」

それはすぐにわかった。
私の劇団の公演を観た方はわかると思うけど
私たちは独特の演技身体表現を持った劇団。
頭の先から足の指先まで考える。
少しは目が肥えているので、言い切る。

ジュンスの動きはジュンスではなかった。

そこには男の体を持った『チカラ』があり、それは『無』であり
そしてそれは『死』の肉体と動作であった。

日本の『死』は個人として描かれていると聞いた。
生きている人間の感情、それに近いと。
宝塚はトートが主役で、エリザベートとの愛を描いている。

私が見た韓国の『死』の解釈は...ジュンスの解釈なのかもしれないが
全知全能のチカラを持ち、人の命を奪うことにためらいや悲しみを持たない。
感情の見えない『死』であった。

『死』は、15歳のエリザベートがその危険にあった時
初めて『愛』という感情に触れる。
感情がない訳ではない。笑いもすれば怒鳴りもする。
『愛』という感情ももちろん知っていただろう。
ただ、自分の心に持ったことがなかった。

日本のエリザベートは、その瞬間に『愛』を、その気持ちを歌う演出に
なっているそうだ。

違った。

トートはエリザベートを抱き上げ、一言も喋らずに離れて行く。
彼女の命を奪わなかったことに自分で驚いたであろう。
これが愛か?と思いながら、初めて抱く感情に戸惑ってどうすればいいかわからす
とにかく自分のところに引き寄せるしかなかった。
長い時間をかけて幾度となくエリザベートの前に現れては
「こっちに来い」と誘いをかける。

人間が恋に落ちる状況にあてはめるのは無理だ。

トートはエリザベートとフランツの結婚式で
高らかに笑いながら『死』の鐘を鳴らす。
エリザベートを誘いにかける時、肉体はもの凄くエロティックで
瞳も妖しく見えるのに、トートの心はどこか冷めている様に見える。

ルドルフとの絡みもゾクゾクした。
子供ルドルフが泣いている時、「いつもいるよ」と優しい言葉をかけるが
笑ってはいない。
ベッドから降りて数歩歩くと冷たい氷の様になる。

ずっと側に居たルドルフの命をもてあそび、死のキスをする。
ルドルフが運ばれて舞台上に残ったトートは
「パーン...」と銃を空に向ける。

エリザベートが刺されて死の世界に来た時
2人は熱く抱きあってキスをする。
やっと向き合えた、愛する者たちのキス
ではない。
そう見えるけれど、そうかもしれないけれど
トートにとってはエリザベートと永遠の別れのキス。
手に入れた瞬間に失ったエリザベート。

最後、息をのんだのは
その時のトートの表情が素晴らしかったからだ。
キスをして、エリザベートが自分の腕の中で亡くなり
冷たい氷の表情の最後、ほんの一瞬
トートの顔が歪む...

お見事だった。
ジュンスはトートで、『死』以外の何者でもなかった。








死 とはなんであるか?
そこの解釈は、欧米人と東洋人では大きく捉え方が違うかもしれない。
時代によっても、宗教によっても違うし
女性男性の立場、その生活環境でも考え方は変わってくる。
だが、誰にでも訪れる死を自分で選ぶか来るのを待つかは
自分で決めることに変わりはない。
死は、人間が受け入れることのできる最も大きな出来事。


その具体的であり抽象的な『死』をジュンスは演じた。




☆ JYJ & TVXQ ☆まゆたんPRISM日記








余談ですが、タイタス・アンドロニカスという作品で
私は台本に無いタイタスの妻を演じた。
喪服を着て、最初から最後まで舞台の上に居た。
妻が部屋に入り、正座をして話だすと
死んだ夫や子供たち、ローマの皇帝やゴートの女王が蘇る。
そして、彼らの物語が始まる。


この時、死、という物についてもの凄く考えた。
私の役は人間だったので感情が動く訳だが...







ふう.............







4月も観に行こう......かな.........






舞台の感想はまた別に書きます。