出会いは小学部の1年生の時、同じクラスだった。
ハーフでかわいくて母曰くやっぱり目立っていたみたい。
すっごいおてんばで外見だけじゃなく中身も?笑、目立っていた。
家庭の事情で6年生の途中でお別れ、母の実家、ボストンに帰っていった。
それから3年前の春、英和の子とマイミク繋がりで再会したんだ。
私はmixiという媒体にすごく感謝している。
mixiがなかったらアメリカに行って、どうしているかも分からなかったから。
その年の夏休み、彼女は日本に遊びにきた。
渋谷で会って、アフター6でシーにも行った。
7年振りに日本に来て、幸せそうだったんだ。
東京でファッション関係の仕事をして生活したい、それが彼女の夢だった。
2年前の3月、私が今度はNYに遊びに行った。
お好み焼きと炒飯作ったり
セントラルパークでピクニックしたり
SATCの5aveやテロがあったグランドゼロ連れて行ってくれたり
ハドソン川でぼーっと川眺めたり
ブルックリンブリッジ行ったり
大学の授業連れてってくれたり
夜中までマックで大量のポテトを食べながら爆笑したり
9日間だったけど沢山思い出が出来てあっという間だった。
2年前の夏、お腹が痛くて救急車で運ばれた。
秋、Skypeで話したいことがある、って言われて
何だろうって思っていたら聞いた事もないような病名、癌の告知だった。
アメリカでもその癌にかかっているのは40人程。
でも私頑張って生きるからって言ってくれた。
生存率も低かったけど、元気な時は元気だったし、明るい子だったし、死ぬわけないって思ってたんだ。
それからは入院した時お風呂入れないから
体拭く汗拭きシートとかを母と送ったらすごく喜んでくれた。
去年の3月には震災の復興活動でNYでボランティア頑張っていた。
その頃Skypeしたら、“元気よー医者にもあなた本当に癌なの?って言われるし”って笑ってた。
日本の入学したいファッション学校の事も調べていて
帰ってこれたら沢山会えるねって話していた。
ハロウィンはコスプレしていて楽しそうだった。
facebookで見たメイド服姿があまりに綺麗でかわいくて携帯に保存したんだよ。
去年の12月、友達とフロリダのディズニーに行ってた。
お土産買ったから送るねー☆って言ってくれた。
今度は一緒に行こうね!って約束も、NYに行った時からしてた。
でも旅行中にも緊急治療室に運ばれてた。
それを明るい感じでツイッターに書いてて大丈夫なの?ってやりとりしてた。
まゆちゃんはクリスマス何したの?って聞いてきた。
1/3に私のツイートに反応してきた。
それが最後の絡みだった。
今年の始め、facebookやツイッターにhappy new year.今年は女子力アップ目指しますって書いてた。
健康になりたい、みんなに心配かけたくないって。
みんなが心配してくれる時が申し訳なく感じるって…
優しくて、私が風邪引いた時も
えみちゃんの方が何十倍も大変な思いしてるのにすっごい心配してくれて
人一倍人懐っこくて
おもしろくて、、
今思えば完璧な子だったね。
人間関係にも小さい時から悩んできて、ここまで波瀾万丈で大変な人生を送った子、周りにいないと思う。
またNYに行く約束をした。
フロリダのディズニーも、ビーチにも行く約束した。
でも果たせなかった。
えみちゃんの東京に帰りたいっていう夢も叶わなかった。
連絡だって、もっとしようと思えば出来たはず。
NYにも、もう1回行けたはず。
後悔なんてしたくなかったのに、今は後悔だらけ…
22歳というあまりに短すぎる生涯、
もっといろんなことがしたかったはずなのに、悔しいし悲しい。
弱音を吐いている時もあったけど、本当はただ普通の健康な女の子になりたかっただけなんだ。
でも、やっと痛みから開放されたんだよね。
痛くて苦しくて、辛かったね。
もう辛い事なんてないから、安心してね。
安らかにお眠り下さい。
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