今日で震災から5年。
ゆっちも2歳→7歳になりました。
今とは全く違った生活をしていました。
お昼寝必須だった2歳。
毎日2人で家で過ごしていました。
あの頃はずっと一緒に過ごしていたけど
今は学校へ通っているので震災の起きた時間も
私と一緒ではありません。
あれから1年・・2年・・・3年・・と
毎年この日は震災を振り返りますが
毎年思うことがある。
今の生活だったら地震の時どうしたのか。。。。
幼稚園が終わってバスの中だったかもしれない
幼稚園でバスを待っていたかもしれない
学校の下校時間だったかもしれない
電話が通じない状況で
私はたぶん真っ先にゆっちの安否を知りたくて
走り回ったかもしれない。
そして思います。。。
そういう状況だったお母さん達。
沿岸部で学校や幼稚園に通っていた子供のお母さん達。
どんなに心配だったろうって。
考えるだけで涙がでてくる。
それから考えるのは
来年・・・再来年・・・
ゆっちが友達と遊んでる時間かもしれない
中学生だったら・・
高校生だったら・・
私が息子の行動をすべて把握できない歳くらいだったら。
家族と電話が繋がらない。
そんな時に必ず皆が集まる場所を設定しておかなきゃ。
家にいれる状況ではなかった場合。
避難場所を設定しておかなきゃ。
やっぱり・・・何よりも皆家族の安否が知りたい。
それが1番なんだと思う。
今日、ゆっちは学校で故郷復興プロジェクトっていう
企画があるようで、6時間授業です。
多分、学校で黙祷してくるんだと思います。
それを知って、先週あたりゆっちにきいてみた。
「震災の事、覚えてる?」
ゆっちが覚えてるのは
・車にいたら揺れた事。
・パチンコ屋に車とめてそこに住んだ事。
・寒かった事。
海の方で津波があったことはボンヤリと記憶にある位。
もうすぐ3歳って時だったし。
なるべく怖い思いをさせたくなくて言わなかった事も
あるし。
だけど・・・私の側にずっといる生活じゃなくなった今。
仙台がどんな状況だったのかを知って危機感を持って
避難してほしい。
そういう思いで、震災の記録のDVDなどを見せました。
驚いてました。
過去を振り返らない
そんな生き方をして前向きに生活しようって
そういう風に思って生きてる私だけど
3月11日
この日だけは毎年。
やっぱり振り返ろうって思います。
前記事だけどコピーして貼ります。
5年前の3月16日に私が書いたブログです↓
3.11 地震発生時。
私はゆっちを車のチャイルドシートに乗せようと
助手席のドアをあけ、抱き上げた瞬間でした。
急に足元に穴が開いたのかと思ぃました。
ゆっちはドスンとチャイルドシートに落ちるように乗り
そのまま押さえこまなぃとバウンドして飛んでしまぃそうな
揺れでした。。。
私の車外に出てる下半身がもっていかれるんじゃなぃかと
思うくらいの揺れで、隣や向かいに駐車してる車が
前に進んだり後退したり。。
助手席のドアがあいたりしまったりと私のふくらはぎに
がんがんぶつかり、どうにかなるくらい痛かったけど
それは後々、アザだけですみました!
必死で押さえながら、ゆっちを怖がらせてはいけないと
「すごいねー!揺れてるねー!」って明るい声言い続け
ていましたが・・・・
目の前で地面にヒビが入り、隣のマンションとの境にある
ブロック塀がくっついたり離れたり。。。
マンション屋上の貯水タンクが破壊してすごぃ勢いで水が
屋上からふってきて!!
目の前でオジサンが水に打たれて倒れる姿を見てると
怖くて、泣きたくて、なかなか止まらない揺れに
「もうとまる!大丈夫だよ!とまるよー」って必死に
自分に言い聞かせてました。
ゆっちも
「とまる?もうとまる?」ってずっと言ってました。
パパを職場に送って行こうと思い、ゆっちと一足先に
車に向かって降りてきたので、パパがエレベーターかも!
って思ぃましたが、階段からヨロヨロおりてくる姿を途中見て
安心しました。
パパが車にたどり着き、揺れも小さくなってきたけど
まだおさまらないまま
「後ろに乗れ!マンションの表に移動する!」って言われ。。
ゆっちをちゃんと座らせて、ベルトをしようと思ったら
手が震えてなかなかできなかったです。
こんな経験は産まれて初めて。
地震ってこんなに怖いものなのかと驚きました。。。
マンションの表に回ると、ちょうど母が泣きながら自転車で
近所のスーパーから戻ってきました。
買ぃ物へ行くのは知っていたので、きっとどこかで
座りこんでただろうと思ってました。
入り口で知らない人と抱き合っていたそうです。
それからマンションの前で皆集まってきて。
私もゆっちとずっと車の中で待機状態。。。。
強い余震が続くのが不安で何もできませんでした。
今回1番心配だったのがジィです。
ジィの仕事の配達先は港地区。
今、テレビで津波に流される映像が流れてますが。
まさに津波の被害で車もトラックも家も流されてるような
地域。
連絡が取れずに心配でしたが
2時間位した頃に走って帰ってきました!!!
車で3~40分かかる距離を63歳のジィが
車を捨てて走って近くのマンションの階段をかけのぼり
津波の様子を伺いながら走って逃げてきたんです、、
車に向かって一直線に息をきらして走ってきて
ゆっちのいる助手席をあけ、ゆっちに多いかぶさって
「生きててよかったぁぁぁ」って泣きながら
崩れ落ちました。
足もガクガクでしばらく立てなぃ状況でした。
死ぬな、死ぬな!!と唱えながら走ってきたそうです。
ちょうど昼寝して家にいると思っていて
とても心配だったそうです。
あの揺れ、あの津波。マンションが崩壊したんじゃなぃかと
思ったそうです。
それからはもう暗くなる前に今夜の過ごし方を相談。
近所のパチンコ屋の駐車場に車で移動し
パパとジィで家から布団を運び
母とやってきた弟の嫁はまだあいていたコンビニで
食料を買い込み。
そしてそれから車での避難生活がはじまりました。
日が暮れて、街灯が消え真っ暗な街。
すごぃことが起きたと実感したのが夜です。
車のラジオで津波の被害がすごぃことを聞きました。
すぐ近くまで津波がきてると。
消えない津波警報に、ここもやばぃかもしれなぃと
ジィは一晩寝なぃでラジオを聞ぃていました。
トイレも公園で並び、公衆電話には人が沢山。
真っ暗で何も見えない街中を懐中電灯をもった人が
夜も歩きまわっていました。
ヘリコプターが飛びまわる空をふと見上げたら
とても綺麗でした。
普段見れない位の星が本当に綺麗で!!
電気が消えたから。
こんなにも星が綺麗なのに
大きな災害のせいなんだと、いたたまれない気持ちに
なりました。