以前、ルーツでご紹介した落合節成キュウリの話の続きです


が育てたキュウリでないのは残念ですが、嫁のお祖母さんへ落合節成キュウリをお届けすることが出来ましたキラキラ
この場をお借りして、ご協力くださいました埼玉野菜ソムリエの村田さん、JAさいたま、さいたま市の関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます

お祖母さんが一生懸命守った落合節成キュウリをこの三浦半島の地でも復活させたいと思っています


最後に昨日掲載された農業新聞の記事を転載させていただきますね

実家で育種 キュウリ「落合節成」 戦争で途絶え 70年ぶり再会 さいたま市の遠藤喜久子さん

 さいたま市の遠藤喜久子さん(94)が今夏、かつて実家で育種して種を販売し、太平洋戦争で採種を断念したキュウリ「落合節成(ふしなり)」と約70年ぶりの“再会”を果たした。戦前、全国に流通し、現在のキュウリの原型にもなったといわれている。神奈川県に住む孫の松原真由美さん(37)が「祖母に落合節成キュウリを食べさせたい」との一心で探したところ、JAさいたまで保存、栽培していることが分かった。

 「落合節成」は、埼玉県与野市下落合(現さいたま市中央区)で、農業と種子商を営んでいた喜久子さんの実家・関野農場が育成、1935年ごろから全国に売り出した。しかし、太平洋戦争で喜久子さんの2人の兄が出征。家族は栽培から種取り、発送まで夜を徹して作業をしていたが、43(昭和18)年には、弟の廣曄(こうよう)さんも学徒出陣で徴兵され、種取りは困難になった。

・亡き兄弟しのぶ

 「このままでは落合節成キュウリが途絶える」。心配した廣曄さんは、出征の際、「日本の農業に役立ててほしい」と、神奈川県の農業試験場に種子を託し、翌年、台湾で戦死した。
 幼いころから喜久子さんに「落合節成」の話を聞いて育ったという真由美さん。神奈川県の農家に嫁いだ後、野菜ソムリエの資格取得を機に「落合節成」を探し回ったところ、「(落合節成を使って)料理したことがある」という埼玉県の仲間からJAで栽培していることを聞いた。

 JAは、大宮緑花木センター(さいたま市北区)の一区画で「落合節成」やサツマイモ「紅赤」、サトイモ「大宮1号」「浦和1号」などの在来種を保存していた。

 真由美さんから連絡を受けたJAは、遠藤さん宅を訪れ、収穫したばかりの「落合節成」を届けた。テーブルに置かれた「落合節成」を見て喜久子さんは「あ、そうだそうだ、このキュウリ。いぼいぼの太くて大きいこのキュウリだ!」と懐かしそうに目を細めた。

 喜久子さんの娘、岸田雅子さん(69)は「兄2人と弟が出征し、人手が足りない中で種 を守ったことは今でも母の誇りです」と当時を振り返る。

 JA営農指導課は「先人の思いがこもったキュウリ。ぜひ復活させたい」と意欲を燃やす。