作家の佐藤愛子さんの訃報。
生まれ年を見たら母と同じ。
母が生きていたら…?
母ひとりなら何とか介護できたのに。
家で死なせてやりたかった…
なんてたまに思っていたが
母が生きていたら
102才だったのか…。
私の母は
あの体調ではとても生きられなかったな
やっと諦めがついた(今頃)
年齢ではなくて、
脳みそは大丈夫でも身体が持たなかった。
ちょうど先日、佐藤愛子さんの
娘さんのインタビュー記事を読んで
大変な30年だったな…と思ったばかり。
自宅に介護ベッドを入れてから
痴呆が進んだようだった。
娘さんを自分の姉だと思ったり…
私の母も病院で危篤状態から戻った時
私のことを自分の末妹と思い…
後で考えたら一時的なせん妄だったが
あの時のショックは忘れられない。
母の場合は元に戻ったけども。
介護で知り合った娘さんも
母親と同居するために
実家をリフォーム
その間、ショートステイで老健へ。
新しい家に着いた途端に
お母さんは「ここは私の家ではない」
ボケてしまった人がいた。
老健ではボケなかったのに。
「母の自室だけはリフォームしなかったのに
何のために実家に帰ったか…」と泣いていた。
高齢になると、環境の変化の影響は大きい。
家に他人を入れることを
両親は嫌がり(みんなそうだと思う
私だって嫌だ、気が確かなうちは)
ヘルパーさんを頼むまでも大変だった。
それまで
私が通って食事の支度から
家事一切をやったが
母はともかく父は
主菜の他に三品は小鉢系がないと駄目だから
献立考えるのが辛かった。
作り置きや残り物の再利用が嫌な父で。
お味噌汁は作り立てでないと食べない。
沸騰させると味が変わるから
「煮立てたな!」とか言って食べないし。
お味噌汁…煮立てないように
見ている時間すら私には勿体ないのに!
当時はムカムカしたものだ。
私は両親と同じ献立を食べるのが
なぜか嫌で(精神的なものかな)
食欲も全くなくなり
作って出して片付けて
気付けば自分は菓子パンで1日過ごしたり。
それで病気になったから(消化器の)
介護する側は自分の生活や
楽しいことをするのが大切だとつくづく思う。
私の父は大概は
「娘は親をみて当たり前」という感覚で
威張っていたし。
身体が老いているのに
若い頃みたいに動こうとして…怪我したり。
いかに父の威厳を尊重しながら
こちらの意見を伝えるか…に頭を悩ませた。
佐藤愛子さんも威張ったお婆さんだったようで
孫娘さんは介護するのが大変だったと思う、と
娘さんはコメントで語っていた。
私の母は
たまにまともな事を言ってくれて
それが最後まで私の心の支えになった。
ある時、遅刻というか
いつもの時間に遅れて
「ごめんなさい!遅れちゃって!」と
謝ると母は
「年寄りの家に来るのは気が重いもの。
それでも来てくれているのが
どれだけ大変か、わかるよ
来てくれるだけでどれほどありがたいか」
というようなことを言ってくれた。
(え?!ズバリ核心をついてるんだけど!
母!わかってるんだ!)
行きたくないな〜と思うことすら
人としてダメ駄目だ、と自分を律していたが
母が、それを察していたことに
見透かされたようでドキッとして
同時にホッとしたのを覚えている。
私は「そんなことないよ」と
たしか否定したが
そういう、クリアな頭の時に
言ってくれた言葉は忘れない。
介護の終わりはこの世での別れ
子育ては希望を持って出来るけど
介護は老いていく親を見ていかねばならず
希望なんて持てない
でも、必ず終わる日が来る。
私は佐藤愛子さんのエッセイが
毒舌で好きだったが
そういえば母は好まなかったな
同い年だからかな?なんて
ふと思った。