2012/3/18
親に付き合って、えらく久しぶりに祖父母の墓に行った。
そんな気になったのは、今後行くことも無い可能性もあると感じたからである。
いわき市常磐から相馬市、あるいは鹿島町…今の区分で言うと南相馬か。
浜通りを6号線で行って、まあ2時間もかからなかっただろう距離なのだが、
ちょうど間を原発で分断されてしまった。
わざわざ山脈を越えて中通りを北上し、また山脈を越えて海側に出る事になる。
狭くてめんどくさい山道を抜けて、片道5時間といったところ。
気が遠くなる話。
郡山に抜ける途中、さっそく車内でも0.4μsvを表示する測定器。
0.2~0.4程度で場所によってまちまち。
山間部はまだらに汚染されている。
とはいえ総じて汚染されている。
福島市に入って渡利のあたりで突然0.6μsv。
阿武隈川は流れ込んだ放射性物質でとんでもない線量になってるとのこと。
市内の道端では、高圧洗浄機で歩道を洗っているおじさんたちも居た。
除染中とののぼりあり。
作業服でマスク無し。
なんだか見てるだけで涙が出てくる。
心優しい被害者がますます被害に合う。
それでいて何も解決しない。
山間部を相馬に向かって走る。
霊山のあたりは、母方の祖父が敗戦で台湾から引き揚げてきて最初に住んで単身赴任で勤務したあたりらしい。
山並みをひとつ隔てると飯館村である。
車内で測定器がついに1μsvを超えた値を表示する。
過疎地とはいえ、民家には親子もいるのが見えた。
畑では猿の群れが食べ物を探していた。
まだ雪があちこち残っていた。
母方の墓は相馬市。
掃除など済ませ、ついでに祖母のいた実家に30年ぶりくらいに寄る。
誰も居ないかと思ったら、たまたまいとこが居た。
30年前と、まるで何も変わっていないような風景。
でも去年とは違う環境。
線路も道路も分断されて交通の便が悪い。
家の裏は、母の一家の貧しい生活を支えていた畑。
「今年は作付けを諦めました。農地で0.6μsvも出るんですから」と言ういとこの言葉が耳にこびりつき。
父方の墓は鹿島町。
南下する途中、母の希望で松川浦に寄る。
松川は、かつて農地があり、民家があったはずなのが、はるか見渡す限りのぬかるみ。
たまに流されずに済んだ家が見える。
遥か彼方の松は防災林だったものだろう。
ブルドーザーが地ならしをしている。
果たしてここを農地として復活させるつもりなのだろうか。
住宅地にするつもりだろうか。
瓦礫なんてどこにも見当たらないのはどういうことなんだろうか。
奇妙な感じがした。
ぽつんと残った水門。
他に建造物らしいものが見当たらなかったので、やけに目だって見えた。
そして松川浦の船着場だったあたり。
釣り船が出入りして民家が立ち並んで旅館があって、海水浴客でにぎわったところ。
子供の頃遊んだ楽しい思い出がいっぱいのところ。
土台だけ残った家とか、くずれた土地とかになってる。
まだ住んでる人だっているけど、自分はもう来れないかもしれない。
父方の墓参、完全にボケてしまった親戚のおじさんのお見舞い。
あらかた済ませたら夕方近く。
金も時間も余計にかかるが、どれだけ損害を受けても何の保障もありはしないのだ。
親に付き合って、えらく久しぶりに祖父母の墓に行った。
そんな気になったのは、今後行くことも無い可能性もあると感じたからである。
いわき市常磐から相馬市、あるいは鹿島町…今の区分で言うと南相馬か。
浜通りを6号線で行って、まあ2時間もかからなかっただろう距離なのだが、
ちょうど間を原発で分断されてしまった。
わざわざ山脈を越えて中通りを北上し、また山脈を越えて海側に出る事になる。
狭くてめんどくさい山道を抜けて、片道5時間といったところ。
気が遠くなる話。
郡山に抜ける途中、さっそく車内でも0.4μsvを表示する測定器。
0.2~0.4程度で場所によってまちまち。
山間部はまだらに汚染されている。
とはいえ総じて汚染されている。
福島市に入って渡利のあたりで突然0.6μsv。
阿武隈川は流れ込んだ放射性物質でとんでもない線量になってるとのこと。
市内の道端では、高圧洗浄機で歩道を洗っているおじさんたちも居た。
除染中とののぼりあり。
作業服でマスク無し。
なんだか見てるだけで涙が出てくる。
心優しい被害者がますます被害に合う。
それでいて何も解決しない。
山間部を相馬に向かって走る。
霊山のあたりは、母方の祖父が敗戦で台湾から引き揚げてきて最初に住んで単身赴任で勤務したあたりらしい。
山並みをひとつ隔てると飯館村である。
車内で測定器がついに1μsvを超えた値を表示する。
過疎地とはいえ、民家には親子もいるのが見えた。
畑では猿の群れが食べ物を探していた。
まだ雪があちこち残っていた。
母方の墓は相馬市。
掃除など済ませ、ついでに祖母のいた実家に30年ぶりくらいに寄る。
誰も居ないかと思ったら、たまたまいとこが居た。
30年前と、まるで何も変わっていないような風景。
でも去年とは違う環境。
線路も道路も分断されて交通の便が悪い。
家の裏は、母の一家の貧しい生活を支えていた畑。
「今年は作付けを諦めました。農地で0.6μsvも出るんですから」と言ういとこの言葉が耳にこびりつき。
父方の墓は鹿島町。
南下する途中、母の希望で松川浦に寄る。
松川は、かつて農地があり、民家があったはずなのが、はるか見渡す限りのぬかるみ。
たまに流されずに済んだ家が見える。
遥か彼方の松は防災林だったものだろう。
ブルドーザーが地ならしをしている。
果たしてここを農地として復活させるつもりなのだろうか。
住宅地にするつもりだろうか。
瓦礫なんてどこにも見当たらないのはどういうことなんだろうか。
奇妙な感じがした。
ぽつんと残った水門。
他に建造物らしいものが見当たらなかったので、やけに目だって見えた。
そして松川浦の船着場だったあたり。
釣り船が出入りして民家が立ち並んで旅館があって、海水浴客でにぎわったところ。
子供の頃遊んだ楽しい思い出がいっぱいのところ。
土台だけ残った家とか、くずれた土地とかになってる。
まだ住んでる人だっているけど、自分はもう来れないかもしれない。
父方の墓参、完全にボケてしまった親戚のおじさんのお見舞い。
あらかた済ませたら夕方近く。
金も時間も余計にかかるが、どれだけ損害を受けても何の保障もありはしないのだ。






