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私の『今』

日々感じた事、思った事

母の納骨も終わり
いよいよ名義変更です
相続登記って言うんですか?
よくわかりませんが。
父から母の名義に変更した時には
法務局に通いながら何とか私がしましたが
あれから24年…覚えているはずもなく
私も年をとりました
もう理解力も乏しくなって来ているので
専門家の方にお願いする事にしました。
先日行政書士さんにお会いしました
葬儀屋さんからの紹介の方です
私より10歳も若い女性の方
とても美人で気さくな方です
出生から死亡までの謄本と母と私の住民票
私はひとりっ子なので遺産分割などはなく
書類は少なく済みそうです。
それらの取り寄せを私が自分ですれば
25000円安くなるそうです
まあそのくらいなら出来るので
早速区役所に出向きました
母の出生から婚姻までの本籍は長野県
婚姻から死亡までの本籍は千葉県
両県からもらわなくちゃいけないのですが
今は本籍地じゃなくても取り寄せられると言うので
近くの区役所で申請しました。
謄本はすぐには貰えず1週間くらいかかるとか。
連絡来たら取りに行きます

謄本などの取り寄せだけで
行政書士さんは25000円💦
(謄本などの代金は別です)
浮いた分で美味しい物でも食べて下さいだって😊
結局支払いは10万➕消費税と雑費
いくらになるんでしょうか?
その後名義変更の手続きは司法書士さんが担当するとか。
司法書士さんには6万円➕消費税と雑費
終われば登録免許税というのがかかって来るそうです
土地建物の標準額から割り出されるようですが
いくらになるんだろ?
なんだかんだ物入りです💦
無事に名義変更完了したら
次に待つのは売却です。
売れれば良いのですが先は長いです


8月15日に亡くなった母
49日目は10月2日でしたが
お寺さんの予約の都合で
遅ればせながら本日
四十九日の法要と納骨式を済ませました
七七忌
生前の未練をここで断ち切り
四十九日の法要によって
極楽浄土へと旅立つ
と言うことです。
90年間お疲れ様でした
山あり谷あり谷あり谷あり
谷底ありの人生だったかもしれません
でもきっと楽しいことも幸せだった時期もあっただろうと思います
辛すぎてそんな事すら思い出せない日々だったと思いますが。

母は1934年2月に6人兄弟の長女として
長野県飯山市で生まれ
高校中退?(と聞いたような)で
東京浅草の叔母さんを頼り上京
親戚の仕立て屋さんで働いていたようですが
その後キャバレーのホステスになり

当時流し🎵をしていた父と知り合い

2人は同棲を始めたようです

昭和32年に私が生まれ家族3人仲良く?

とは行かず

父は仕事嫌いの遊び人

母の過酷な人生の始まりです

五反田に「BAR泉」と言う店を出し

マスターとママとして切り盛りしていましたが

立退により店はたたみ

そこからまた父は働かず

夏は釣り冬は狩猟

その他は海外国内旅行

お金を使うことは大好き

働くことは嫌い

結局母が働くしかなかったんです

生命保険やパチンコ店

行き着いたのは呉服屋さんの販売員

母の話術で成績優秀

一億円プレーヤーとして何度も表彰されました



その後父は肝硬変による食道静脈瘤の破裂で

大量の吐血

一命を取り留めて15年の闘病に入ります

病気の父と姑がいる状態で

母は必死に働きました

父は相変わらずお金を使う人で

働けど働けど暮らし楽にならずで

昔から父は暴言暴力そして束縛

父に蹴られて肋骨骨折したことも(涙)

今で言う女子会などに参加は許されませんでした

そんな生活に耐えらるず

何度も家出、何度も自殺未遂(涙)

父が亡くなりようやく自由になれた母
しばらくは楽しく暮らせましたが
2015年から私の手を借りての生活になり
あらゆる病気で入退院を繰り返し
辛い時は死んでしまいたいと何度も口走り
鬱状態になって食欲も物欲も気力もない日々
亡くなる事が出来たらきっと母は楽なんだろうなと思っていました。
母が生きてる事の辛さをみて来ました
老衰で亡くなった母に私は
「良かったね楽になれたね」と心から思いました
冷たい娘だと思われるでしょうが
体は辛い何の楽しみもない
あるのは不満だけ
そんな日々を生きてる事が気の毒でなりませんでした。

お読み下さった皆様に全てを伝えている訳ではないので
親が亡くなって「良かったね」なんて
理解に苦しむかと思います

母は仏となり
苦しみからも解放されて
あの世でも父と会っていたら可哀想ですが
どうか穏やかに空から笑顔で見てくれていますようにと祈ります🙏
合掌


人生において後悔
あの時この時
あーすればこーすれば
右じゃなく左に行ってたら
あと数分早ければ遅ければ
老後の為にちゃんと貯めておけば良かった
そうすればこの年になって苦労しなくて済んだ
もっと健康に注意していれば良かった
なんて色々ありますよね。

8月に母が亡くなって
母に対しての後悔
探せば沢山あるかもしれません
取ってつければ
元気な時に旅行でも連れて行けば良かった
あんな事言わなければ良かった
面倒くさいを態度に表さなければ良かった
叱らなければ良かった
施設に入れる選択をせずに
私が自宅で介護すれば良かった
そしたら母はまだ元気だったかもしれない

だけど
後悔って結果が出た時に生まれて来るもので
その時選んだのは自分
その時はそれがベストだと思った訳だし
今母が元気でいたら旅行に行ったかと言えば行かない
母を連れて歩くのは大変だと思ったからしなかった
毎日の介護でイライラした
今も続いていれば同じくイライラしてるはず
あの時施設に入れない選択肢はなかった

あれやこれや後からこじつける後悔はウソ

だから私は人生に悔いなし
これからも我が道を思ったとおりに進んで行くしかないな(^^)
残り少ない人生だもの(*^^*)