🍀✨✨東西ハーフストーリー✨✨🍀

  《芝居の道をまっしぐら》

⭐️めずらしくも上品な小説の朗読の巻・前編⭐️


相変わらずM先生の授業は

恐怖の自転車こぎに始まり

エチュード中心だったが、この科目は正式には「身体的行動」というらしい⁉️

(真面目に授業には出ていたが正式な

科目名を知ったのは、随分後の事で覚えたつもりになったまま、又忘れていた🤣😂)


その対極にあるのが「言語的行動」という科目で

文字通りこれは言語を使って表現力を高め

芝居に繋げるる為のレッスンである🍀

「身体的行動」はこれまた文字通り

身体とその動きで言葉(台詞)は用いず

表現力を養う物で、大まかに言って

この身体と言語を使って大抵の芝居は

成立する🍀⭐️🍀

中には終始無言のまま、舞台の上で粛々と

或いは敏捷に、時には荒々しく動く事だけの芝居もある🤫🫢

また朗読劇は1人または数人 

時には群衆のように沢山で身体では表現せず

本を読みながら

或いは暗唱したものを繋ぎながらの芝居もある事は否めない🗣️👄🗣️

しかし殆どの演劇は役者の身体的&言語的行動が相まって、芝居として創造されていく🍀🍀🍀


この「言語的行動」の講師のA先生も

外部の方で、ご自身も元役者🎭さんで、

当時はご自身でプロダクションを開所

されていて主にマスコミ関連の役者を

育てる事をされていた🍀🤗🍀

A先生は終始笑顔で優しく

物腰も柔らかく、劇団にはほぼないタイプのジェントルマンだった✨✨✨


授業の内容は主に朗読🗣️

最初のテキスト📕は芥川龍之介の

かの有名な「蜘蛛の糸」🕷️🪢

国語の教科書にも用いられる事も多い

短編の名作で、大抵の方はよくご存知だと思う。

『お釈迦様が極楽の蓮池の淵を歩いておられ、ふと立ち止まってしゃがんで蓮の花の間をご覧になった。

その下の底は地獄であり

針の山や血の池🩸地獄、三途の川などと共に、地獄界で苦しむ多くの罪人や悪人が見える。

その中に生前悪の限りをつくしてきた

カンダタという男が、

一度だけ小さな蜘蛛🕷️の子を踏み潰して殺そうとしたのを、可哀想だと思い返して

踏まずに助けてやった事を

お釈迦様は思い出され、ちょうど極楽の

蓮🪷の翡翠色の葉の上に綺麗な銀色の

糸をかけようとしていた蜘蛛の糸を一本

手に取られて、地獄の底の血🩸の池で

浮いたり沈んだりしているカンダタの

目の前にすっと降ろされカンダタを助けてやろうとされた。

やがてカンダタは真っ暗な地獄の底で

この銀色の糸を見つけ、これにつかまり

手繰りながら登って行けば助かるのではないかと思い、ぶら下がって上手く登る事が出来たのだが、途中ふと下を見ると多くの罪人が我も我もと助かりたい一心で

蜘蛛の糸にしがみついて登って来るのが見えた😨😰😱

カンダタはこれでは糸が切れてしまい

自分も助からないと腹を立て「これは俺の為だけのものだ‼️」

「お前達は手を離してし下に降りろ💢」

と大声で叫んで脅かしたのだ。

その光景を見られた途端にお釈迦様は

悲しそうな顔をされてサッと糸を手から

放してしまわれ、カンダタはまたも多くの罪人仲間と共に血の池🩸地獄に逆戻りしてしまった』というのが

この物語のあら筋である。


原文は

『ある日の事でございます。

御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りで

ぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」とたおやかで美しい文章で始まる。


これを私達は何度も音読して

やがて1人づつの朗読を発表して

A先生はダメ出し(良くない所を示されその解決法を教えて貰う事)や感想を述べられるが

私達も仲間の朗読で良かった事や気づいた事などを忌憚なく言い合い

其々の表現力を磨いていくのである。授業の終わりに来週までの宿題として

『「蜘蛛の糸」の自分の朗読としての完成を達成する』という風に出されるのだ⭐️


一度だけA先生自らが御手本を示して下さった事があった🍀

肩に余分な力など全く入っていない自然体で

ゆっくりと「ある日の事でございます。

御釈迦様は極楽の池の淵を1人でぶらぶらとお歩きになっていらっしゃいました」と

読まれただけで、私達は目の前を高貴なお姿でゆったりと歩かれる御釈迦様を見た気持ちになったのである。

すこぶる秀逸な日本画に描かれた

御釈迦さまがそのまま歩いておられるような不思議な錯覚⁉️いや確かな現実‼️


先生は「朗読をする時はその時の光景が自分にも、観客にも鮮やかに目に焼きつくよう」話す事が一番大切で

観る側の方々にそれを心の底からの感性を光らせて伝えて行くと、演劇は絵画のように後には残らないが、感動のワンシーンは目の前に映る

永遠♾️の物として観た人の脳裏に

生命に鮮明に刻まれ、その感動は色褪せる事はないと何度も何度も教えて下さったのだ。

私も読むことで目の前を一幅の名画になるようにと意識しながら、

精一杯練習を重ねた🍀🍀🍀

やがて拙いながらも研究生一同の朗読は

急成長して、其々の個性を生かして

その人だけにしか出来ない絵の見える

朗読になって来たのだ❣️❣️❣️


ここで小手先の拙いスキルを向上させる事に必死になるより

その文章を書いた作家の心の動き

生命の揺れ動きを察知する

心こそが一番大切なのだと悟りを開いた様な気持ちになった🍀✨🍀


だからと言って急に朗読が上手くできるようになる訳ではない💦💦💦

練習、練習また練習と時には自分の語りを

テープレコーダーに録音して

あまりの下手さ加減に倒れそうになりながらも、自分の耳で聞いている自分の声との違い、こんな風に語ればこう言う結果になると言う心の持ち方を

徹底的に叩き込んだ時間でもあった🍀⭐️🍀


これは後に芝居の世界だけでなく

一般社会で色々頭を打った時に

相手の心情をまず汲み取る⭐️🍀❣️

その上で自分の思う事を素直に

表現する事で色んな人間性や性格を知り

少しは独りよがりな独断と偏見を捲し立てて、相手の心を貝のように閉ざしてしまう失敗は少なくなってきたように思う🍀


良い役者はやり良い魅力的な1人の人間である事が大事なのだ🍀⭐️❣️❣️❣️


これらはどんな職業にもどんな社会で

生きていても大切なことだと20代の

私が当時はまだまだ浅い理解だったと

思うのだが


「アーあれからウン十年‼️‼️‼️」

「心こそ大切なれ🍀✨🍀」

波乱な人生を超えてきた中でこれは

絶対的な指針であり

私の根底を何があっても揺るがさず

生きて行く人生哲学の要になった事は紛う事なき事実である⭐️⭐️⭐️


珍しくシリアスな内容で今回は終わり😂

後半に続く🍀💕✨❣️❣️❣️


紫 まいこ