いつでもどこでも自然体でいられる人に憧れていました。
適当に肩の力が抜けている人のそばって、居心地が良いなーと思ったんですよね。
こんなこと言っちゃいけないかなーと思うことを言っても笑って流してくれたり、(むしろそこを良いと言ってくれたり)
普通なら非常識に思ってしまうことが、なぜかその人がやると、カッコよく見えてしまったり。
何かを良いとか悪いとかをジャッジせずにありのままをいいじゃん!って笑ってくれる世界に連れてきてもらったような気持ちになって、温かいのですよねー。
まだまだですが、私も気づけば、
柳に風みたいな人だねーとか、
いつでもどこでもまゆこさんですね!
まゆこさんみたいに気にしない人になりたい
なんて、言われることがあります。
あんなに周りの目ばっかり気にしていたのが嘘みたいに柔らかくなったものだなぁーと思います。
自然体の自分で過ごせるようになるまでの気づきで大きかったのは、
「相手の態度や言葉への意味づけは自分でしている」の理解でした。
聞いたことがあったこの言葉。
そうなんだろうな、とは思っていましたが、
なかなか理解ができずに、
それでも、どう考えたってこの人の発言は悪意があるとしか取れなかったこともあります。
そうは言っても例外ってあるよね?と確認したくなっていました。
いまは、例外なく意味づけは自分でしているなあーと思っています。
本当に世界は自分で作っているし、同じ空間にいても捉える目が違うと全然違うことになっちゃうんですよね。
心からめっちゃ褒めてくれているのに、
「あれは口だけだから」とか「かわいそうだからお世辞で褒めくれてるだけ!」なんて思っていたら、相手の愛を受け取れてないですもんね。
真実はその人の世界観が作っていて、自分と相手では本当に違うものなんだなぁーというのを実感するたびに、自分が捉えている世界観を修正して置き直すというのを地道にやっていきました。
自分の身を置く世界を優しくするたびに、目の前の人の愛を受け取れるようになったし、渡せるようになっていきました。
そうするとね、自分を厳しく見張っていた目が和らいでいって、自然な発言を緊張感なくできるようになって、目の前の人とのコミュニケーションに集中できるようになっていきました。
自分のことばっかり気にしちゃう時って、目の前の相手とのコミュニケーションに集中できていないのですよね。
なので、自然体の自分でいたいなら、相手とのコミュニケーションに集中してみるといいのかもしれませんね。
悲しくなったり複雑な気持ちになった時は、私のいる世界が温かいか?を確認するといいかもしれません☺️
私が温かい世界にいるのに、目の前の相手が悲しい世界にいたら、連れてきてあげるといいかも知れませんね。
自然体のみんなと温かく繋がれたら、いつも心は穏やかですよね。
そんな世界がいいなあーと思います。