九月六日 長女○○の百か日でした。
縋る想い。彼処で安らかに過ごしているのかとひび願う。
四十九日法要は自宅でしたので、百か日はお寺さまへ。
旧い人や昔から自死した者は天国に行けずなどいわれのない心無い言葉には耳を塞いで、浄土真宗を崇める事で私の心は半信半疑でもありましたが母を見送った時にお世話になりましたご住職さんに長女の百か日の法要をお頼みしました。
ご住職さんは髪の毛も坊主ではなくフサフサな髪型で子供の頃からのイメージを覆された方でした。
お人柄も穏やかでいらっしゃる方です。
コロナ禍もあり法要後、ご住職さんとの法話などは残念ながら聞けませんでしたが、お経を称え終わり娘は阿弥陀さまの浄土に生まれ仏さまになられているそうです。
西方浄土は私たちからは遥か遠くにあられ、あちらからは、私たちの直ぐ傍におられるのだとお話しいただきました。
今まで過去にここまでは深く知らずにいました。
母を送った時もご住職さんとは直接お話を聞けなかったので、この法要で心も少し落ち着けました。
亡き娘に寄り添い、これからは今までの人生に無かった事をしてみたいと今日考えてみた。
信者??とは言えないけれどお寺巡りをしてみたいです。