18日、11回目の娘の日

もうすぐ1年を迎えようとしています。。。

1年前の元気な娘の姿を想うと

とても切なくやりきれない気持ちになります

娘のスマホにはちょうど1年前の今頃、コロナ禍でもせっかくの夏休み、親友と公園でピクニックを楽しむ写真が沢山保存されていました

その公園は国営の広い広い公園

引越し前の家から近く娘の幼少期、私達家族も幾度となく遊びに行った場所

プールやサイクリングロードも整備されており、季節ごとに植えられるお花もとても綺麗でしたチューリップ赤ヒマワリもみじ

写真の娘はマスク姿がほとんどだけど目元を見れば満面の笑顔がわかる

芝生に座って親友と語り合い大笑い

その笑顔は公園のふわふわドームで無邪気に遊ぶあの頃の娘の笑顔と少しも変わらない

可愛い可愛い愛しい娘の笑顔飛び出すハート


数日後にその笑顔が二度と見れなくなるなんて誰が想像できただろう

どうしたら娘の命守れたのだろう


逢いたい、声が聞きたい、抱きしめたい、、

あの日から寂しくて悲しくて泣かない日はありません

一緒にいる事が当たり前すぎて、娘には優しい言葉をかけてあげる事が出来なかった

娘のために将来のために、なんて言って娘を都合よく支配していただけかもしれない

毒親でごめんなさい、娘に謝りたいです


娘の意識がなくなったあの日が近づいているからなのか最近は深く堕ちて浮上出来ずにいます

ブログを読む事も書く事もなかなか出来ず、仕事以外は何も手につかず泣いて1日が終わっていきます

娘の生きた時間から離れるのが嫌で進めずに立ち止まったまま、、、

娘のために今出来ること、何をしても娘の喜ぶ顔が見れない変化がないことに胸が苦しく切なくなります

この先も私の生きる意味はあるのでしょうか


公園で撮った写真の中に

〝どこでもドア〟から出てくる娘の写真ドア

娘はどこに行ってしまったの?

ママは今すぐ〝どこでもドア〟であなにに逢いに行って抱きしめたいおすましペガサス