現在退院し主人共々実家にてお世話になっていますが、少し遡って入院中の事を書いておこうと思います。
私が自分のキャパの狭さを自覚し、目標設定をせずに改めて育児を楽しもうと思った矢先の出来事です。


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朝からてんこ盛りの朝食を平らげ、意気揚々と搾乳に挑む私を置いてベビ子は心臓の検査に行きました。
その後小児科のドクターがやって来て、黄疸の値が高いので入院になる旨説明されベビ子は総合病院のGCUへ入りました。
黄疸は新生児の殆どに出るものだと聞いていたので、あまり深刻に考えていませんでした。
主人とGCUに面会に行く時間になり、総合病院へ逆戻り。GCUは両親しか入れないようになっていて、入り口はロックされています。
よく手洗い消毒をし、マスクを付けて入室すると、そこには沢山の小さな小さな赤ちゃんが並んでいて、そこらじゅうからピンピンとブザーが鳴っていました。
その光景は緊迫しているように感じて、血の気が引くのが分かりました。
主人に支えられながら奥に進むと、ベビ子は目隠しをされケースに入れられて青い光線を当てられていました。
もう涙が溢れて止まりませんでした。
健康に産んであげられなくてごめんね。
ごめんね…何度も謝りました。
抱っこさせてもらうと、ベビ子はおっぱいを探して動きます。けれど私は抱っこしかしてあげられなくて悲しくて仕方ありませんでした。
結局ベビ子は二泊三日の入院になり、家族揃っての週末は又も別々に過ごす事になりました。
そして、追い打ちをかけるようにまた別の病気が発覚しました。
今度は部長先生からのお話で、1人で聴きに行った私はパニックになり、質問も出来ず涙を流す事しか出来ませんでした。
大声で泣いていた娘は、元気に泣いていたのでは無くて、苦しくて泣いていたのだと思うと申し訳無くて何度も謝りました。
この日は土曜日で友人達が既にお見舞いに向かってくれていて、事情を話してお断りするのも申し訳なく辛かったです。
中でも日曜にお見舞いに来るのを楽しみにしていた義両親への報告は、申し訳無さすぎて出来ませんでした。主人から黄疸で入院しているから会えない事だけ伝えてもらいました。
案の定お義母さんは泣いて悲しんでいたそうです。
部屋には空のベビーベッドが存在感を放っており、育児が出来る事がどんなに幸せな事だったのかをひしひしと感じました。
涙が溢れて止まりませんでしたが、週末の為主人がずっと一緒にいてくれたので精神的には幸いでした。
ベビ子と離れ離れの週末、私に出来る事は限られた時間の面会と、母乳を出す努力と、身体を休める事だけでした。
何もしてあげられないけれど、母乳が出ればベビ子に届け飲ませてあげる事が出来る!
免疫を高める事が出来る!
その一心で一時間毎の母乳マッサージ・足湯・ホットバッド・搾乳機での刺激・等を頑張りました。






ハードな母乳トレーニングは助産師さんとの二人三脚で、2時間毎に行われ夜中も搾乳機にかけましました。
その結果、妊娠してから何故か少し垂れ気味になったお胸がバレーボール並に急成長しました

衝撃の張り

手絞りすると、ピューっと飛び出す母乳。
頑張って絞って10ccだけでしたが、これでベビ子に母乳が届ける事が出来ると思うと嬉しくて嬉しくて面会時間が待ちきれませんでした♡
面会時間は目一杯ベビ子のそばで過ごしました。
日曜日だったので、沢山のパパママが面会に来ており、絵本を読んだり、授乳したりしていました。
勿論私も授乳
と思ったのですが、ベビ子は吸ってくれず、哺乳瓶から飲んでくれました








この日はベビ子が退院出来るかどうかが判明する日、11時に検査結果が出て連絡が来るというのでヒヤヒヤしながら待ちました。
結果ベビ子帰還しました

まだまだ黄色くて数値的にもギリギリセーフな感じでしたが、私と同日に退院が出来そうで主人も家族も大喜びです。
私の腕に戻ってきた愛しいベビ子
絶対幸せにするからねっ

この先どんなに育児が辛くても、私は育児が出来る幸せを忘れません
