私が目指しているヒーリングのブログやサイトとしては
ポータルサイトのようなところで、
私がいてもいなくても港のように
いろいろな人が出入りするようになれるカフェのような
イメージです。
ヒーリングは媒体として自分がお手伝いをするものなので
そこに主張や表現は必要がない
(丁寧な通訳や翻訳は
必要かもしれないけれど)ような気がしています。
本来はわたしがどう感じているかというのは
お伝えしないのが
ベストなんだろうなぁと思っています。
ただあるがままをゆるすだけなのですから^^
人は自分の世界がすべてなので感じたことは真実だし
その人の見えることがあるいみ真実なのです。
人間だから「どう思いますか?」と聞かれることはありますが
ヒーリングではそれはないのかもなぁと思っています。
治す、治されるが好きな方はきっとそちらにいくでしょう。
(それが悪いとも思っていません。
わたしもそういうときが
あったし、
めちゃくちゃ弱っているときは必要なときも
あるかもしれません)
でも今からの時代は自分自身の取扱説明書は
自分でもっていて、
自分で動かしたりスイッチを入れたり
きったりできるようになることが理想なので
それが一番よいのだろうと思います。
小さな頃から一人か二人?の少人数単位が多いのでw
あんまり大勢のところにいったことってないなーって感じていますw
なんででしょうね?
もっと大きなエネルギーだとよくいわれていますが
好きなのは少人数です^^
関わりが密のほうが楽しいからかな?
人間としてのんびりやさんだからかな?
お部屋を整えたりカーテンを変えたり
いろいろなものをバージョンアップさせている最中ですが
欲しいものを素直に言えるのも良いですね。
女性ですからね。
美味しいものを食べて
のんびりデートっていうのがベースにあって
そこからですね。女性の生命体として充実してる。
そこが基本かもw
ヒーリングにやってくるひとって、女性だったら
女性とばっかりいる人がけっこう多い気がします。
この世の中は陰と陽なので男性といた方が
ほんとは自然なんですよね^^
ペアですからね。そこにいつか目を向ける時期が来ますよ。
女性は、そこのベースがあって、
ヒーリングやクリエイト
のようなきが、なんとなくします。
まあ、イメージですけど^^
今年はタブーを開くがテーマです。 (テーマパーク。。。)
TABOOって加藤茶さんがあのちょっとだけよ、 のテーマ曲になっていて
子供の頃から なんだかずいぶん陰微な曲だなぁ、と感じていました。
(当時3歳)
さておき、今までなんとなく封印していたことはすべて
開かれていくのかもなぁとかんじていますよ。
具体的にはセックスとお金です。この二つ。
けっこう奥深いんですね。
ぎゅうぎゅうと蓋をしていたことを出してあげるのです^^
隠していることは誰かの宝になるのかもしれないし
ならないのかもしれない。
わたしはただ好きなことをただすることで
それがもしかしたら誰かの役に立っていたらそれで良いし
たたなかったらそれもそれでよしにします^^
すこしずつエネルギーが解放されてきていて
解放にはヒーリングをはじめ
誰かの助けがあったりそしてまた気づきがあったりして
一つ一つ進んでいきます。
わたしは誰かのチャネリングを勝手にしたりは
あまりしないようにしていますが(ルールだしマナーですね)
とても敏感なのでときどき勝手に人のデータが
ダウンロードされてしまうことがあって
それがきっといいいみで作用していることが
ちょっとはあるのかなーと思っています。
人っていろいろなところに理由や原因をつくりますが
たいがいはそこにはなにもないんです。
たぶん、何も考えないでいる方が
たいがいするするっといきます。
気軽な気持ちでいたいけど、まだけっこう
あれがなぁということもありますよね。
まあ、それはそれでいいのです。
時間は横軸ではないので螺旋だと仮にしたとすると
意外と一周は短くてすぐ斜め上にそれがあるのです。
だから案外すぐ重なる。
そんなものなのかもしれません。
この螺旋は必ずしも一年単位のものでもないし
すぐ斜め上に来ます。
そんなものかも。
からだをあたためましょう、今のブーム。
あったかブーム。
昔、「ニューアース」などの本を読んでいた時に
しきりにでてきていた
「長年にわたる女性の集合意識」 と呼ばれるものが気になってはいるんだけど。。。
ほんとにあるのかな?? どうなんだろう?
自分が何かができないのを 「女性の集合意識」のせいにしているんじゃまいか?
ほんとはもっと簡単だったりして?
と思いながらも、簡単に何かを 手放せないなら握りしめるのもよいなぁと とっても感じてます。
だって「手放してください」っていわれたら 「嫌です!」
ってなるとおもいませんか?(私だけかなー??)
最近いろいろ感じているのが 手放しても握っていても
別に対して生きるのには 支障がない感じがしてきました。
たいていのことは深刻に考えすぎていることが もたらしている、かもしれない。
(わたしもそういうときがあるし 当人にとってはやっぱり深刻だけど。)
「長年にわたる女性の集合意識」 と呼ばれるものが気になってはいるんだけど。。。
ほんとにあるのかな?? どうなんだろう?
自分が何かができないのを 「女性の集合意識」のせいにしているんじゃまいか?
ほんとはもっと簡単だったりして?
と思いながらも、簡単に何かを 手放せないなら握りしめるのもよいなぁと とっても感じてます。
だって「手放してください」っていわれたら 「嫌です!」
ってなるとおもいませんか?(私だけかなー??)
最近いろいろ感じているのが 手放しても握っていても
別に対して生きるのには 支障がない感じがしてきました。
たいていのことは深刻に考えすぎていることが もたらしている、かもしれない。
(わたしもそういうときがあるし 当人にとってはやっぱり深刻だけど。)