これは大分昔に、私が勤めていた会社で温泉旅行に行った時の話です。


大型バスに乗り込んで現地に到着すると、社長は幹事を呼びつけていました。

「私が言った所はここじゃないよ。」

何件も旅館が並ぶ通りでしたが、薄暗い夕方だというのに明かりがついている宿がありません。

その中をバスが通り、着いた宿でした。


「会社も経費節約だね…。」

「寂しい所…。怖いくらい…。」

皆でヒソヒソと話合っていると、社長自らがフロントに向かって確認をしています。

すると奥から女将らしき人物が現れて、社長へ話かけました。


「まあまあ、お坊ちゃん!忘れずに来て頂いて嬉しゅうございます。さあ、どうぞどうぞ。」

その様子から、どうやら社長の知り合いがやっている宿だということになり、宿泊が決まりました。
総勢60人の小さい会社でしたが、毎年良い所へ旅行に行かせてもらっていました。

でも正直、今年はちょっとハズレかなという印象です。

各自割り当てられた部屋に入ると、木造の昔ながらの旅館です。

他の宿泊客はおらず、私達の貸し切りでした。

温泉はなかなか風情があって、湯船の真ん中に観音像があり、照明はちょっと暗過ぎるかなという感じでした。

掃除が行き届いていないようで、床の縁にはカビがあったり、廊下の飾り棚は埃がかぶっています。

「ここは昔は賑やかな旅館街でしたが、今ではすっかり寂れてしまいました。」

宴会場で、女将がそんな挨拶をしました。

「先代はお元気ですか?」

そう社長が言うと、女将は飛び上がらんばかりに喜びました。

「お坊っちゃま、先代にはひいきにして頂きました。今日は精一杯用意させて頂きました。賑やかにお過ごし下さいませ。」


100畳ほどのだだっ広い座敷で宴会が始まると、女将が涙を拭う仕草が見えました。

料理は冷めていましたが、宴会になればそんなことは気になりません。

仲居さん方のテキパキした働きで滞りなくお開きになりましたが、経営が厳しいのかなと思うと変な詮索は出来ません。

騒ぎ過ぎた疲れからか、部屋へ戻るなり皆眠ってしまったと言っていました。


「みんな!出発だ!早くしなさい!」

翌朝、会社の幹部達が慌てふためいた様子で起こしてまわっています。

顔を洗う時間もなく、バスに乗らされてゆく私達。
一体どうしたのだろうと思っていると、社長がバスのマイクで説明を始めました。

「ここは昔ね、先代が懇意にしていた旅館なんだよ。たまには使ってみようかと、私が幹事に言った。確かにね。でも今は場所を移動して、別な所で経営しているんだ。」

そして幹事役だった社員が続けます。

「朝、支払いをして欲しいと仲居さんの1人から声をかけられたんだ。」

仲居さんの話によると、宿の女将さんはもう既に亡くなっている方だというのです。

衰退してゆく宿で、最後の少数客まで対応し気丈に頑張っていたけど、見かけないと思ったら宿の一室で自殺していたそうです。


私達が宿泊するより前、その宿で働いていた仲居さん達の枕元に女将さんが立っていたそうです。

「お客さんが来るから、宿を開けて欲しい。」

そう言って、毎晩現れる。

気味が悪いが、生前良くしてくれた女将さんがあまりにもお願いするものだから、供養だと思って宿を開ける準備をした。

するとそこへ、私達が団体で押し掛けて来たというのです。

仕出し屋は、もうやっていないはずの旅館から60人の宴会の注文が来て驚いたそうです。

それでも場所だけ使うという話で、ひょっとして女将の親族かなんかかなと思って電話の注文を受けたといいます。

更に不思議な事に、私達は女将さんを確かに見ていたはずなのに、仲居さんは誰一人として女将さんに会っていないのだとか…。

その朝はばらばらにその辺りの店で朝食を食べ、観光の日程はキャンセル。バスの帰り足では、一応御祓に行きました。

「悪かったね。でも料理は仕出し屋のだから大丈夫だし、仲居さんの働きも見事なものだったろう。昔を知ってる会社の旅行で、女将も嬉しかったんだろうなぁ。」

社長が詫びながら、そうぽつんと言った事が忘れられません。

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