私の発達障がい児の子育て13年 その① | 発達障がいの家族・カサンドラのための相談カウンセラー、メンタルコーチ リデザインライフ安谷屋まゆ子

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発達障がいのご家族の力になります。
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「カウンセリング」で悩みや不安を解消し、「コーチング」で実現したい目標に近づき未来を開いていきます。

こんにちは。
発達障がいの家族の相談カウンセラー

マインドデザイン®️マスターコーチ
安谷屋(あだにや)まゆ子です。

先月ですが息子が13歳の誕生日を迎え晴れてティーンエイジャーとなりました。
正直なところ、カサンドラだった頃の私がここまで子育てを続けられるとは思っておらず、13歳の息子の姿を見ることができていることに色んな感情が湧き上がり落ち着いてブログを書くまで時間がかかりました。

私の発達障がい児の子育て13年〜誕生から3年前まで〜

13年のうち約10年はカサンドラ状態、発達障がいの特性や対処方法が頭ではわかっていても行動が伴わず息子にはかなり厳しく接していました。
発達障がいの診断を2歳で受け、その時主治医である田中康雄先生から言われたのは「この子は難しいタイプだからね」の言葉。
最初はあまりその意味がわかっていませんでした。
毎日毎日午前中はスポーツクラブのベビークラスへ行き、お昼寝の後は子育て支援センターへ行き、しばしばその後も我が家でママ友とご飯を食べたりする生活サイクルがあって気が紛れていたところもありました。
2歳頃に始まるイヤイヤ期もなく、好き嫌いなく何でもよく食べてくれたのでその辺の苦労はありませんでした。


ただ子育てが完全なワンオペだったこと、私が体調崩しても知らん顔の主人にイライラしカサンドラ症状が酷くなってました。


息子が診断を受ける数ヶ月前に転勤でとある田舎町に引越し主人の実家には近いものの友達もいない見知らぬ街での生活、変わらない完全ワンオペ育児、息子の診断後に義母から言われ続けた「家には障がい者なんていないのに何で◯◯(息子)だけ障がいなんて」という言葉。
心の中では(あなたとあなたの息子も同じでしょうが‼︎何言ってんの?)と思いつつ事あるごとに言われたのも重なりカサンドラ症状は酷くなり更にアルコール中毒に片足突っ込んでいるような状態で生活を送っていました。

息子はというと、生まれてから3歳頃まではかなり音に敏感でお昼寝にも音を出さないように気を使い、言葉も遅かったため一人で焦ってプレ幼稚園では耳を塞いでパニックを起こしギャンギャン泣いている。
転勤先では今までと全く違う生活に毎日なんどもちょっとした事でパニックを起こし、それに耐えきれず私は息子に怒鳴ったりして余計に泣きわめいたり奇声を発してそれに対してまた怒鳴ったりしての負の繰り返し。


結局、息子も私も田舎生活に耐えきれず主人は主人の実家で単身赴任生活を送ってもらい家がある札幌に戻って息子は念願だったお友達と同じ幼稚園に入り何とか二人での生活をスタートさせました。


小学校へ入学した頃から田中康雄先生から言われた「この子は難しいタイプ」の意味がだんだんとわかってきました。
プライドがかなり高くちょっとした事でも失敗と捉えパニックを起こす。
負の感情は一切表では出さず、家に帰ってきてから全て私にぶつけてくる。
3年生の後半頃からは更に酷くなり家庭内暴力で何度も警察を呼び止めてもらい息子は病院へ私は救急車で運ばれる。
私はそれに耐えられず4年生の運動会前日に自殺を図り田中康雄先生から入院命令を受け強制入院しました。


でも、その入院があったおかげで私は息子に対しての色んな事に気づくことができました。
それまで私は息子に対して愛情があるのかわからずただ産んだから育てないといけないというような思いがありました。
初めて離れて何日も会わず一人の時間を過ごしやっと気づいたのが私の中に息子への愛情があったこと。
そこから私が変わらないと何も変わらないと思い色々と勉強を始めカサンドラからの回復への一歩を歩み出すことができました。


この続きはまた今度…。


今日も最後までお読みいただきありがとうございます。


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