昨日は娘の七五三
義姉ちゃんに着付けとヘアメイクをしてもらい、
氏神様の神社でご祈祷していただきました!
今まで何度かご祈祷の経験はあるけど、
初めてすごく不思議な感覚になった
神主さんが3人、祝詞とともにへご神体にむかって
深々と何度も頭を下げる姿をみて、
神主さんも、ご神体も、全部私自身だなぁ。と。
私が私自身にむかって頭を下げて
祈願をしているように思えました
今までなら「神様」という
自分より途轍もなく高尚で、
ありがたくて敬うべき存在に向かって、
下界の私共に何卒ご加護を...と懇願するみたいな
感覚でいたのだけれど。(笑)
私たちはみんなそれぞれが
神様で、ソースで、宇宙で、
何だって叶えることのできる創造主なのだと
そう思えるようになってしまった今、
ご祈祷すらも
「私」が「私」に願いを伝えている時間に
感じるようになった
淡々と流れていくお経
パチパチと燃え上がるお焚き上げの炎
ご本殿いっぱいに漂うお線香の香り
数珠の擦れる音
すべてが本当の自分と繋がるためのものに思えて、
すべてが心地よい
昔の人はこうやって儀式をすることで
「神様」を通して本当の自分と繋がっていたのかなと
自然に思えたことにびっくりした
常に生産性や効率、合理性がもとめられる現代を生きていると、
こんな無駄な行為に何の意味があるのか?
神に祈ったって人生何も変わらない
そんなことよりも
新しいプロジェクトを立ち上げて
ゴールから逆算したロードマップを敷いて
日々のTodoをこなす方が重要
もっと数字を上げるためにはどうすればいい?
もっとたくさんの人に買わせるためにはどうしたらいい?
もっと刺さる広告を。もっと刺さるキャッチフレーズを。
そんなことに頭をフル回転してばかり
祈祷に限ったことではなくて、
一見して「非生産的」な事柄にたいして
「こんな無駄なことをしている暇はない」と
そんな風に思うひとも少なくないと思う
本当は、私が望みさえすれば、
その望みへの抵抗さえなければ、
ソースは勝手にその望みを叶えるための
ロードマップを用意してくれるし、
感覚という形でナビゲートしてくれる
ただ、抵抗をなくして、
自分自身とつながって、
自分の心に従うだけでいい
努力根性の世界から抜けると決めて、
ただ安心して川の流れに身を任せるだけでいい
必至になってオールを握りしめて、
川の上流へ向かって漕いでいく必要なんてない
流れに逆らわず、
流されるままに、自然に、周りの景色を楽しみながら
下流へ向かって下りていけばいい
ただ、それだけ。
世界はとってもシンプル
だれもがまったりとしながら
夢を叶えて、幸せになれる
あなたが良い気分でいる以上に
大切なことは何もない
少しでも気分が軽くなったら、
少しでも大丈夫かもと思えたら、
それはあなたの夢見る幸せへと
向かえているサインです♡