皆さん、こんにちは!歴史のサーシャです!今日もロシアの歴史の勉強を続けましょうか?![]()
今回のロマノフ家(第2回)は前の話より様々な出来事があり、不安な激変の時代から、保守的なニコライ1世の警察国家まで!![]()
激変の時代(1725‐1762)
1725年ピョートル1世の惨死のせいで(船からおちた兵士を助けて彼は発病しました)激変の時代が始まりました。激変の時代とは皇帝がいつも代わったり、愛人と国を共営したり、貴族の陰謀を認めたりした時代です。。1725年から1762年まではツァーリが7人代わって(エカチェリーナ1世 →ピョートル2世→アンナ・イヴァノヴナ→イヴァン6世→エリザヴェータ・ペトロヴナ→ピョートル3世)安定感のない時代でした。
エカチェリーナ2世(1762‐1796)とパーヴェル1世(1796‐1801)
しかし、1762年、夫のピョートル3世に代わってエカチェリーナ2世が皇帝に即位するとロシアに勢いが復活しました。実はエカチェリーナはドイツ人でしたが、皇帝としてだんだんロシアの精神や考え方が分かってきました。エカチェリーナの最高の功績は自分の子ではなく、優秀な孫たちを育てたことです。なぜなら、エカチェリーナは夫のピョートル3世も、自分の息子(後のパーヴェル1世)も嫌いでした。だから母から愛されなかったせいで、パーヴェル1世の性格はちょっと変になってしまって、在位が短かったそうです。それで、パーヴェルの政策に対抗した貴族が共謀し彼を殺しました。
Пётр Фёдорович
ピョートル3世 (ドイツ語名はカール・ペーター・ウルリヒ ) (1762年1月5日 - 1762年7月9日)
Екатерина Алексеевна
エカチェリーナ2 (イカチリーナ・フタラーヤ・アレクセーエヴナ )(1762‐1796)
Павел Петрович Романов
パーヴェル1世 (パーヴィェル・ピトローヴィチュ・ラマーナフ) (1796‐1801)
パーヴェル1世の家族
アレクサンドル1世(1801‐1825)![]()
パーヴェル1世の息子でエカチェリーナ2世の大好きな孫のアレクサンドル1世はイケメンでした。イケメンだけでなくて、不思議な魅力のある人でした。また、アレクサンドルの側近の話によると、彼の性格は裏表あって、その二面性を使って人間の心を操ったり、魅惑したりして、多くの人を騙しました。しかし、このような振舞には理由がありました。実はアレクサンドルはパーヴェル1世(お父さん)の陰謀について知っていましたが、何もしませんでした。言い換えれば、お父さんの殺害を許して、殺人犯とグルになろうと思ったわけです。彼はその殺人犯たちを許し、その責任を一生背負い込んでしまいました。また、アレクサンドル1世は実の子供がいなかったので、彼の弟ニコライ1世が即位しました。
Александр Павлович Романов
アレクサンドル1世 (アレクサンドル・パヴロヴィチ・ロマノフ) (1801‐1825)
ニコライ1世(1825-1855)
パーヴェル1世の三男としてニコライ1世は兵家の教育を受けることになりました。しかし、そのせいか、国政が分からないとか、被害妄想とか、きつい性格のせいで、ニコライ1世は不人気な皇帝でした。でも、このような仕事面とは反対に、愛妻家でとても幸せな家庭を築きました。
Николай Павлович Романов
ニコライ1世 (ニコライ・パヴロヴィチ・ロマノフ) (1825-1855)
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次回はこの続き「第3話」をお届けします。
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