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マヨマヨ生活

マヨラーの町、エカテリンブルグについてのブログにようこそ!
「マヨ」はロシア語で「私の(МОЁ)」という意味です。つまり「私のマヨネーズの生活」という名前のブログです。

皆さん、こんにちは! サーシャです!!

皆さん、学校の歴史の授業が好きでしたか?どうしてですか?私には中学校のころロシアの歴史に夢中でしたので、今日はロシアの一番有名な皇族について話したいと思います まじかるクラウン
 

ロシアの歴史について何を知っていますか?イヴァン雷帝でしょうか?ロシア革命とレーニンかもしれませんか?そうですけど、ロシアの繁栄とはロマノフ朝の名前と繋がっているものです。ロマノフ朝は世界王朝の中で名声があり、他の国の王朝と血縁関係があります(イギリスのウィンザー朝、デンマークのグリュックスブルク家など)。

ロマノフ家はどこから発生したのはまだわからないけど、2つの説があります。1つはロマノフの祖先がプロイセンから来るとされているもの。もう1つはノヴゴロド地方の流れをくむという説もあります。ちなみに、現在でもロマノフ家の血筋は途絶えていないで、200人の子孫はまだ生きています。それではロマノフ家の人物を見ていきましょう !

ミハイル・ロマノフ(1613-1645)

1598年にリューリク王朝はフョードル1世の死で断絶しました。これから皇位をめぐる動乱期が続いたが, 1613年にミハイル・ロマノフは総主教に後押しされて、初代「ツァーリ(ロシア語で「王」の意)」に即位しました。ただ、ロマノフ朝の初代にしては17歳という若さで即位し、さらに病弱だったので、権力がないツァーリでした。

Михаил Фёдорович Романов 
ミハイル・ロマノフ (1613-1645)

 

アレクセイ・ロマノフ (1645‐1676)とフョードル3世(1676‐1682)

ミハイルの息子のアレクセイは1945年ツァーリになりました。アレクセイの即位中いろいろな反乱が起きて(例えば、「スチェパン・ラージンの反乱」)、アレクセイの後継ぎフョードル3世も短期間在位しましたが、実は、ロマノフ皇族の繁栄はこのフョードル3世の息子たちによりロシア帝国誕生の伝説が始まります。


         Алексей Михайлович Романов 
アレクセイ・ロマノフ (1645‐1676)​​​​​​​
                                      
    
     Фёдор Алексеевич Романов
フョードル3世 (フョードル・アレクセーエヴィチ・ロマノフ​​​​​​​) (1676‐1682)​​​​​​​

ピョートル大帝 (1682‐1725)

フョードル3世の後継ぎであるピョートル1世とイヴァン5世は次期ツァーリをめぐって、周りの有力貴族も激しい争いをしていました。結局、ピョートルが勝利し、最後のツァーリに即位しました。そしてついにロシア帝国を誕生させました。彼の功績を問わず、ピョートル大帝のイメージは様々なミステリーなところがあります。例えば、「ピョートル・クローン説」です。ピョートルは使節団を派遣し、2年間くらいヨーロッパで修業しましたが、ピョートルの姿を偽った人物がロシアへ帰ってきました。話によると、帰ってきたツァーリは偽物のピョートルでした。顔も、姿も変わって、本当のツァーリと違って、病弱そうな体裁で、ロシア語とロシアの伝統があまり分からないクローンと言われていました。こういう説により、新しいピョートル1世は家庭をぼろぼろにし、愛国心失くしてしまったかのように見えたそうです。

このような色々な謎があるにせよ、とにかく、ピョートル大帝の時代とはまさにロシアがとても勢いのある時代でした。 

 Пётр Алексеевич Романов 
ピョートル大帝 (ピョートル・アレクセイビッチ・ロマノフ) (1682‐1725)

 

 

   Иван Алексеевич Романов
イヴァン5世 (イヴァン・アレクセーエヴィチ・ロマノフ​​​​​​​) (1682‐1696)

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます キラキラ 次回はこの続き「第2話」をお届けします。

質問があったら、ぜひ聞いてください!