彼岸花が綺麗に咲いています。

すっかり秋めいてきましたね。


さて、今日の話題は、『見守ること』についてです。

これは、私自身の教訓の話でもあります。



私は、実は、昔から、とてもお節介な性格で、何か相談されると、徹底的に、そのことについて調査して、求められている以上に答えを出そうとしたり、はたまた、自分の経験したことのある分野についてなら、一番近道で無難だと思われる方法をズバッと出したがったりしていました。


けれども、最近、それでは相手の為にならないと気づいたんです。


こちらから答えを与えることは簡単です。

けれども、『自分で考える』という経験、『自分を見つめなおす』という時間を持つことが、相手の人にとって、答えを出す以上に大切なプロセスであることが多いと気づいたんです。


自分でろくすっぽ考えもせずに、答えを与えられてしまうと、結局、どうしてそれがベストなのかに気づくことができなかったり、自分でステップアップして、次のレベルに進むことができなかったりするんですよね。。。

それで成功したにしても、失敗したにしても、「自分」が、そこになかったら、本当に宙ぶらりんな状況になってしまう。


そのことに、私は人と接する中で、やっと気づくことができました。


けれど、答えを知っているのに、見守るだけというのは、ものすごくストレスが溜まることがあります。

だって、言いたくて仕方ないし、悩んだり失敗したりしている人を見ているのも、もどかしいから。

「こうすれば、うまくいくのに!」

「こうすれば早いのに!」


・・・だから、ついつい、手出したいくなる。


でも、手出しし過ぎるというのは、実は、ものすごく傲慢。

下手すると、押し付けになりかねない。

そして、そうやって手出ししている間は、自分が傲慢になっているということに気づいてない。



最近、私は、人から何か相談されたら、まずは、

『それで、あなたは、どうしたら良いと思う?』

と、尋ねることにしています。

そして、『大丈夫大丈夫!』と、励まします。

よっぽど、相手が道から外れそうだと思ったら、手を出しますが、あとは、見守るのみ。


どうして、これができるようになったのか?

それは、私は、自分自身が、自分の考えを相手に押し付けていると気づいたから。

自分の傲慢さに嫌気がさしたから。


アドバイスしまくる癖があると、自分でも思う方が、もし、いらっしゃったら、一度、それが、本当に必要なアドバイスなのか、それとも、アドバイスの押し売りなのか、立ち止まって考えてみられると良いと思います。


もちろん、押し売りじゃないアドバイスもあります。

あくまでも、こういう場合もあるということで、一度、考えてみられるのも、良いかと思います。

それが、他人であっても、家族であっても・・・親子であっても・・・。