こんばんはひらめき


今日が終業式の所も多いですかね?


我が家もそうだったみたいです知らんぷり


学校とは没交渉なので、


何かあれば、電話ではなく

手紙にして下さいニコニコ


とお願いしていますが、

電話がかかってきます不安不安不安


その電話に出たら、

の時こう言ってた!

と学校に後で言われて、

その後に私が文字(アプリ連絡)で

それはやめて下さい

〇〇にして下さいと言った事は

なぜか上書きされない不思議な現象が

起こるので、

学校が、私のアプリコメントを

無視するように、

私も学校からの電話はスルーさせて

もらう事にしました。

同じ事をするのは悪くないよねーニヒヒ


なぜ学校は、

何度も勝手な判断で失敗するのか


今日、わかりました指差し


校長がPTAに寄せた文章に


子どもが自分の考えで判断して行動すると

多くの場合失敗しますが…(中略)

自分で考えて行動するのです。

「あの人は、もしかして

私がこんなこと言ったから、

そう思ったのかもしれない

次からは言わないでおこう」

と、やり直しをすることで

人のせいにしない自分になり…


と、ありましたゲッソリ【原文】


みなさん、どこにひっかかりますか?



私の考えでは、

子どもの考えを失敗する前提

もしれない、〇〇だろう」は

自分で考えて行動する事ではないし、

そういう勝手な良かれと思って

続けているから、

運動会のハチマキだけ送ったり、

遠足を教えなかったり、

クラブ活動を教えなかったりする。

なるほど、校長の教えの通りに

去年の担任も、今年の担任も

だろう運転で事故っている物申す


相手に「どうする?」って確認しないから、

チグハグになってるんだよ真顔

そして、「かもしれない、〇〇だろう」を

続ける限り、それで行動した人は

人のせいにし続けるんですよ。

全く自己責任にならないちょっと不満


自分で選ぶ、決めるから

自己責任が生まれて、


自分で選ぶためには、

相手は「どうする?」という提示を

隠さず正直に伝える

そこで信頼関係が生まれる。


勝手に良かれと思って

間引いた環境に

信頼関係は生まれないあんぐり


私はそう思っています真顔


そして、校長先生は

◯村先生や◯藤先生の本を読んで

歪んだ解釈勉強されてるんですねーニヤニヤ

って。

この違和感に気づかない我が地域。

障害者支援が根付いてない、

そういう意識がないって事が

悔しいです不安