久しぶり、2階のおばちゃんです。
ちょっと前に、仕事でクライアントにお願いしたことがあってん。
おばちゃん:「依頼が重なると大変なので、順番に依頼をお願いします」
クライアント:「わかりました。」 (依頼が重なると大変なのを理解していただいた)
そしたらクライアントから一気にドバっと仕事の依頼が来て、全部、短納期って 。。。どうゆうことやねん?
いや、ありがたいことやねんで、仕事をもらえるなんて。クライアント様様やねん、ほんまに。そやけどグーのこぶしをパーに戻すのに時間かかったわ。
おばちゃん何してんのって? あれやねん、フリーランスで直接取引の
工業技術翻訳をやってんねん。あのAIに乗っ取られてる職業ね。
「いろんな翻訳ソフトがあるし、それ使えばええから需要ないんちゃう?」って
思うやろ?でもな、うまいこと誤訳してくれんねん、これが。
例えばやけど、「He said he’d quit smoking, but that’ll happen when pigs fly.」(彼、たばこ止めるわって言ってたけど、まあ無理やろな。)
「when pigs fly」はアメリカでよく使う日常のフレーズで「ありえない」や
「不可能」って意味やねん。
AIや翻訳ソフトの日本語訳やとたいがい、「彼は喫煙をやめると言ったが、それは
豚が飛ぶときに起こるだろう。」ってなるで。そしたら、おばちゃんのブヨブヨで
垂れ下がってる二の腕の見せ所となって、「お任せください」って駆けつける
ストーリーができあがるわけやねん。
まあ、そんなんで、今回はサイモン スターリング (Simon Starling) さんの
作品について書くわ。
サイモン スターリングさんと言えば、真っ先に彼のクシャクシャ髪にズボラひげにめがねかけてボーっとしてる顔を思い出すわ。
髪の毛が制御不能なんはスターリングさん自身も認めてはって
帽子かぶったはることも多いで。
2005年にターナープライズを受賞しはってんけどね。昔のスターリングさんは
良う言うたら田舎の素朴な人、悪う言うたら路上で寝泊まりしたはる人って感じで
風吹いたら飛んでいきそうな見た目やってんけど、これがちゃうねん、中身は
自信に満ちて知的好奇心が高く、行動力バツグン、ほんでなんか知らんけど
カリスマ的な魅力のある人やねん。
ノッティンガムのトレント ポリテクニック(今のノッティンガム トレント大学)で
写真の学位を取らはって、グラスゴーのアートスクールでファインアートを
学んだはるわ。
イギリス人で、コペンハーゲンとベルリンで活動してはんねん。
彼はコンセプチュアルアーティストの1人として紹介されることが多いねん。
インスタレーション、3D(スカルプチャー)、ビデオ、写真、パフォーマンスって
感じで幅広く活動したはんで。
おばちゃんにはコンセプチュアルアーティストって感じには思えへんねんけどね。
彼の作品は、まあいろいろあるんやけど、スターリングさんが単独で作品を
作るって言うよりも、ボランティアを募ったり知人などに声かけて、いろんな人らの助けを借りて作品になるって感じやわ。ほんで、作品を完成させるまでのプロセスに重点を置いたはるのが多い印象やわ。ある物事の歴史や文化的背景とか
環境(自然)への影響を綿密に調査し、どんなふうに変化して現在の形になって
いったかを探ったり、当然のように存在するもんでも、そこに人間が関わり
手を加えるとどんなふうに変容するかとか、そういう膨大なもんに聞こえる
プロジェクトを立ち上げ、その研究に没頭し、調査し、旅に出て、その結末みたいなもんにたどり着くまでのプロセスがストーリーとして結果的に彼の作品になるって
感じやねん。
ある物質や物体を別のもんに変換させるという想像力満点のもんやったり、
彼の作品は型にはまらへん自由そのものって感じやわ。
それこそ、“塩”や”水”っていうありふれた物質をテーマにした作品とかもあんねん。
結構有名なんは、2015~2016のプロジェクト「Project for a Rift Valley Crossing」 (おばちゃん和訳:大地溝帯の横断プロジェクト) やわ。
イギリスのノッティンガム コンテンポラリー(Nottingham Contemporary)って
言う近代美術館でのソロエキシビションで、1,900リットルの死海の水から
塩化マグネシウムを採取して作ったカヌーを展示しはってん。
エキシビション終了後、その展示してたカヌーを元の場所(死海ね)に戻して、
イスラエルからヨルダンまで、そのカヌーを漕いで死海を渡らはって、その様子を
ビデオに収めてはんねん。
この作品は、1980年代に海水から採取した塩化マグネシウムで軽量自転車の
フレームを作らはったイギリスの航空エンジニアのフランク カークさんの話から
ピーンときたらしいわ。カークさんがやったんと同じように海水からカヌーを作って海を渡るっていうアイデアが浮かんで、「塩化マグネシウムの濃度がめっちゃ高い
とこ言うたら、死海しかあらへんやないか~い」って言わはったかどうか
知らんけど、死海に決まったらしいわ。で、大規模なチームを組んでカヌーを
作らはってん。
Courtesy of the artist, Image credit: Artsy.net and Arts Council Collection
死海言うたら水位が低下していて消滅の危機に瀕してる問題を抱えてんね。
ヨルダン川の利用や運河の開拓によって水位が下がるスピードが更に
速なってしもて、このままやと消滅すんでって感じやねんけど、イスラエル、
ヨルダン、パレスチナが絡んでて政治的な問題となってんね。
このプロジェクトについてスターリングさんのインタビューがあんねんけどね。
ちょっと長いで。
「やっぱり作品の創作って政治的な関心が出やすいと思うねん。死海のような場所で作品の創作を始めたら、そんなもん政治的な問題は避けられへんで。
死海を取り囲んでる国や地域の間で起こってることにえらい影響うけるし、
地方の政治や水の利用や土地の管理とかで死海の環境に変化が起こってんのは
現地に行ったらようわかるわ。そやけど自分のプロジェクトは、そういったことを
考えたり、直接、政治的なもんを扱おう思て始まったわけやないし、
そういった状況について作品を作ろうとしたんでもないねん。
自分の作品は、ある意味めっちゃシンプルやし、子供の寓話みたいな感じやし、
海から塩をとってボートを作って、そのボートで元の海を渡るって言う話やねん。
ほんまに子供みたいに無邪気な超シンプルなもんやねん。それがやね、
塩化マグネシウムの最大の供給源が死海やってことに気づいて作品を実現しようと
思たら、えらい複雑な政治的状況に直面するやんか。まあ、それが興味深いもんでもあんねんけどね。そういう複雑な状況でも自分の作品の自律性は保つように
してんねん。作品の自律性と状況の複雑さの間にある緊張が、最終的に自分の作品をどう見せるか左右することになるわ。」
ってことやわ。
「Project for a Rift Valley Crossing」というタイトルが付いたこの作品は、
塩化マグネシウムで作ったカヌーのことですって訳ではないねん。まあ、確かに
ギャラリーで展示されてたんはカヌーと、塩分濃度の高い死海の水が入ったデッカイタンクが2つやったらしいけどね。作品見に行った人の中には、カヌーは木箱で
作ったスタンドに立ててあったと言う人もいるし、死海の水が少しだけ入った
殆ど空のタンクが2つやったって言ってる人もいるから、この作品の展示方法を
いろいろ変えてたんかもしれへんね。
この作品は、スターリングさんがフランク カークさんの話にヒントを得たとこから始まり、死海の塩化マグネシウムでヌーを作って、それをギャラリーで展示した後、そのカヌーで死海を渡ったとこまでのストーリーが作品やねん。なっがいやろ?
スターリングさんは、自分の作品のことを「the physical manifestation of a thought process」(おばちゃん和訳:思考プロセスの物理的発現)って
言ったはんねんけどね。
「思考プロセスの物理的発現」ってのは、彼の作品の場合、アイデアやリサーチや
探求心とかによって創作が推し進められることを強調してはんねん。その間に
嫌やけどズルズル引き込まれそうな政治的、歴史的、環境的な問題や複雑な状況が
出てきて、それらに対する思考過程とかも含めて全部、作品を通して具体化するってことやねん。
作品創作までのいろんなアイデアや考察、問題の解決にかかわる思考過程や精神的な探求って全部、形のあるもんやなくて抽象的なもんやんか、それらを段階的に
発展+洗練させてまとめていくのがスターリングさんの思考プロセスってこと
なんとちゃうかなあと思てんねんけど。。。いや、そういうことにしとこ。
そんな抽象的な思考プロセスの表現を物理的な形に変えて表現してんのが
自分の作品やって言ったはると、おばちゃんは思てんねん。
そやから、ギャラリーや美術館に展示する最終的な作品は、3D(スカルプチャー)とかペインティングとかアート作品と言うよりも、スターリングさんの思考プロセスの
旅から得た物理的な「成果」ってことで「成果物」って感じがするわ。
2005年のターナープライズを受賞したときの作品「Shedboatshed (mobile architecture no.2)」(おばちゃん和訳:小屋・ボート・小屋(移動可能な建築No.2))は、スイスのバーゼル(Basel)にある現代美術館(Museum für Gegenwartskunst)
でのCuttings展で展示された作品の1つで、年季の入った古い小屋を展示しはってん。
Courtesy of the artist and neugerriemschneider, Berlin. Photo: Martin P. Bühler
この作品は、こんな感じのストーリーやねん↓
Cuttings展の出展用に、川を利用するプロジェクトに使えるもんを探してはって、
スイスのバーゼルに着いてすぐにキュレーターから自転車を借りて美術館から
市街地の上流へ小旅行した時に、ライン川の川沿いでこのボロッちい小屋を
偶然見つけはってん。小屋の外壁にオールが打ち付けてあんのを見て
「小屋を解体してその木材でボートを作って、小屋に打ち付けられてるオールを
使ってボートで川を下る」というアイデアが一瞬で閃いたらしいわ。
その小屋のオーナーに会って、「小屋を解体しボートに改造してバーゼルまで
漕いで、元の小屋に再建してギャラリーに展示する」許可をもらって、
仲間を募って作品の創作に取りかからはってん。
因みに昔はスイス国境の警備小屋やってんて。
小屋を解体して作ったボートに、その小屋の残りの木材やらを積んで
シュヴァイツァーハレ(Schweizerhalle)からバーゼルまでライン川を8キロ下り
(たぶん何往復もしたやろね)、バーゼルの近代美術館まで運んで元の小屋の姿に
再建して作品として展示しはってん。そやけど、その再建された小屋は、
ボートとして使用されて川を下った際にできた旅の傷跡が残ったものとなって、
小屋の歴史に新たな歴史の層が追加されたものとなってん。
Courtesy of the artist, Image credit: The Modern Institute/Toby Webster Ltd.
小屋の木材を利用してボートを作れる人も凄いと思うんやけど、元の小屋に
戻せるようボートを作るってのは、めっちゃ難しいんちゃうやろか?
「なんかこのテーブル、最近ガタガタ言うてるわ」って親戚のおっちゃんに
言うたら、「よっしゃ、まかしときい、直したるわ」って言うてカクンとなってる
テーブルの足と床の間に段ボールを挟んで「どうや?ガタガタ言わへんやろ?」って得意げに言われんねんけど、まだ微妙にガタガタしてて、他の足にも段ボール
挟んだり、延々と段ボールを挟む調整が続くようになるような、元に戻すのとは
えらい違うしね。(おばちゃんの若いころは、こういう時代やねん)
2005年ターナープライズの展示では、この「Shedboatshed」の作品と一緒に
もう1つ作品が展示されててんけどね、「Tabernas Desert Run」(おばちゃん
和訳:タベルナス砂漠の横断)ってタイトルで、水素を燃料とするエンジンを
搭載した電動自転車を作らはって、その電動自転車でスペインのタベルナス砂漠を
横断し、電動自転車の水素エンジンから出る廃棄物の「水」を使って、
砂漠に生えてたサボテンを描いたってことやねんけど、そん時の電動自転車と
サボテンの水彩画を展示してはってん。
ターナープライズの時の画像でええのがないから、別のエキシビションのんを
貼っとくね。
Courtesy of the artist, Image credit: The Modern Institute/ The Art Fund
2005年ターナープライズの時は、スターリングさんを含んだショートリストに
選ばれた4人の作品の中で、一番メディアから酷評を受けてたのが
スターリングさんやってん。「退屈極まりない作品」とか「ターナープライズで
最も退屈なアーテイスト」とか言われててん。彼の作品は「コンセプチュアル
アート」として紹介されてたから、いまいち作品の意図するところが
理解しにくかったんかもしれへんね。結局、受賞せーへんやろって言われてた
スターリングさんが2005年のターナープライズ受賞者となって、メディアを
騒然とさせてんけどね。
その前の2004年のターナープライズは、ジェレミー デラー(Jeremy Deller)さん
やってん。おばちゃんのブログ「Post-YBA」にチョコっとデラーさんを
紹介してるで。
なんかこの2人似てんねん。プロセス重視の作品で、大掛かりで時間がかかるものが多く、とにかく大勢の人らが作品に関わっていたり、アーティスト自身が
ターナープライズ受賞してもサッサと自分のアトリエに帰って引きこもるところが。
YBAのころは、みんなおしゃれしてお祝い気分やったし、パーティ三昧で
セレブリティ並みやってんけどね。
確かに2004~2005年は、イギリスのアートシーンの傾向が変化してきてんのを
象徴した年やったんかもしれへんなあと、つくづく思うわ。
スターリングさんの作品についてハバネロ級コメントを載せなかった数少ない
メディアの1つ、ガーディアン紙でアートコラムを連載してはる美術評論家
Adrian Searle(エイドリアン サール) さんは、「サイモン スターリングの作品は、バックストーリーがすべてだ」って言ったはったらしいわ。
確かに、ストーリーが無いと作品の理解は難しいね。ほんで、展示されてる完成品
よりストーリーの方がアートの美的価値があるって理解されてしもたら、
スタッキストらがブーブー鼻鳴らすことになるやん。(スタッキストについては
おばちゃんのブログをチェックしてな)
「Shedboatshed」の古びた小屋の展示を見たら、こういう↓思考回路が
出来上がると思うねん。
"第一印象、う~ん、きったないなあ。" → "作品のタイトルは「小屋・ボート・小屋(移動可能な建築No.2)」やわ。どういう意味やろ?" → "オールが壁に打ち付けて
あるわ。" → "オールがあるからこの小屋はボートやねんって言いたいねんな。" → "コンセプチュアルアートやわ。" → "なんかコンセプトがうっすい作品やな。"
こうなると作品を霊視するしかないんちゃうやろか。
もし、おばちゃんに冝保愛子さん並みの霊能力があってやで、「Shedboatshed」を見るとするやん。心霊研究家で放送作家の新倉イワオさんから
「おばちゃん(冝保さん)、何か見えますか?」って言われて、「スターリングさんと彼のグループが小屋を解体してボートを作ってる光景が見えます。あ、新倉さん、
見えないかしら?彼はそのボートを川に浮かせ木材と一緒に川を渡ってるわ。
そして、まあ、そうなのね。彼はこのギャラリーでボートを解体し、元の小屋に
建て直しています。」って感じで霊視できると思うねん。
そしたら、「あれ?これってコンセプチュアルアートなん?」ってなって、
今度はスターリングさんの写真を拝見して彼の作品に対する思考プロセスを
霊視したら一石二鳥でええねんけど、おばちゃん普通の人やから、作品のタイトル「小屋・ボート・小屋(移動可能な建築No.2)」を見ることぐらいしかできへんわ。
そしたら、この辺でスターリングさんがいろんなインタビューで答えてはった
内容をまとめんで。
スターリングさんが作ってるもんはアートかどうかについて、
「自分が作る作品はアートじゃないかもしれへん。でも、アートの教育を受けたし、勉強や研究もやってきたし、アーティストとして経験も積んでるわけやから
自分の作るもんはアートに分類されるんやと思うわ。」
「自分にとってアートとは、物事を探求するための自由な空間やねん。
自分がやってることって、いつも型にはまった芸術作品のようにはならへんねん。」
スターリングさんが作るもんはアートに分類されるけど、
「自分としてはアートかどうかわからへんもんを作りたい」って言ったはるわ。
ほんで、次のようにも言ったはって興味深いなあと思ってん。
「見に来た人が作品に何か惹きつけられるものを感じ、そのあと作品に
深く入り込むかどうか決めるという体験をしてもらえるようなもんを作りたいって
思ってんねん。作品ってそういう、ある種の「層」を持ってる傾向があんねん。
最初からインパクト大で注意を引くようなオブジェやイメージがある作品も
あるやろうけど、なんか気になる作品があったら、見に来た人は次に作品の
タイトルを見るやん。そしたら次に配られたテキストやリーフレットを読むやん。
ほんでもっと知りたいなって思たらカタログ買って読むやん。
そうすると、その作品の全貌が見えてくるってことやねん。」
「セレンディピティ(Serendipity – 偶然や予想外の出来事)を楽しむのが
大好きやねん。これが作品の原動力になってるって言えるわ。他のインタビューでも話したことがあんねんけど、作品自身にエンジンがついてて、それをレール上で
動かしてんのは自分じゃなくて作品自身なんとちゃうかってときどき思うことが
あんねん。なんやそれ?って思うかもしれへんけど、アーティストがやることって
全てをレールの上に留めようとすることやのに、自分の意志に関係なく、作品が
勝手に動いてくっていう感覚があんねん。それって、ひとつのことが別のことに
なって、ひとつの誘いが別の誘いにつながって、ひとつの発見が別の発見に
つながってって感覚やねん。そういうセレンディピティ(偶然や予想外の出来事)を
抑圧するんやなくて、そういうもんに身を任せて、できるだけ自分の作品のなかに
セレンディピティを位置付けるようにしてんねん。」
またいつものように長なってしもたけど、スターリングさんの話になると
ほんま長なるわ。
他にも興味深い作品が結構あるんやけど、どれも世紀の一大プロジェクトなみで
説明したら長すぎるから、今回は短めのをまとめてんけどね。
あ、そうそう、広島市現代美術館でもソロのエキシビションをやったはるね。「Project for a Masquerade (Hiroshima) (2010)」(邦題:仮面劇のための
プロジェクト(ヒロシマ))ってタイトルで、能楽の演目「烏帽子折」(えぼしおり)
からヒントを得た作品で、能面師の三市康雄さんとの共同制作で8個の能面を
展示しはってんね。それぞれ原子力の歴史に関連する人物の顔になってるらしいわ。広島市現代美術館って言うたらイギリスのアーティスト、ヘンリー ムーアさんが1964–65年に作った原子爆弾のキノコ雲と頭蓋骨を傷だらけの教会のアーチが
支えてる感じを表した3D作品「Atom Piece」(アトム ピース)があるけど、
そのアトム ピースに関する歴史も研究したはって、エキシビションに
組み込まれてんねん。
この広島のエキシビションのあと、他の海外のギャラリーで展示するたび、
作品が変化していって最後はグラスゴーで上演されたパフォーマンス
「At Twilight」で幕を閉じたんちゃうかな。
その後もなんかやってはったら知らんけど。
ザっと書いたけど、まあ、長いんよ。この「Project for a Masquerade (2010)」(仮面劇のためのプロジェクト)の作品だけで、最後の作品(最後にしとこ)
「At Twilight」にたどり着くまで6年間の作品展開があんねん。
6年やで。おばちゃんの6年前から現在、何が変わったって言うたら、しみ、しわ、ほくろ、くすみが増えたことくらいしか思いつかへんわ。
誕生日がホラー映画なみに恐怖になる年ごろやねん。





