こんにちは、2階のおばちゃんです。
桜の季節やね~
先週末にお花見に行ってきたんやけど、ほんま満開で綺麗やったわ。
まあ、人でごった返してたけどね。
写真を撮んのも人が写りこまへんようにするのが大変やったわ。
それにしても、あれやね。
ブログ画面ってゴチャゴチャしてんね。
いつもログインして「ブログを書く」をプチっとして投稿が終わったら
ログアウトしておしまいやねんけど、投稿する度にカバー付けますか?って
訊いてきはんねん。
カバーってなんやねんって毎回思うんやけどややこしいから「無し」でそのまま
投稿してるわ。
こないだトップ画面を設定したけど、おばちゃんにとってはもう大変やってん。
めっちゃ時間かかって疲れたわ。そやから「ブログを書く」ボタン以外触りたく
なくなんねん。
さてと
今回はスタッキズム(スタッキスト)について書くね。
前回のブログ「ターナープライズ」に関連した内容になるから
先に「ターナープライズ」に目通しといてくれるとうれしいわ。
前回は1998年と1999年のターナープライズにスポット当てて書いたんやけど
この2年間というのはタブーを打ち破るような作品と現代のアートの価値について
盛んに議論や論争が起こった年やったと、おばちゃんはつくづく思うねん。
歴史的な変遷を繰り返して現在に至るコンテンポラリーアートはその価値を
何度も問われてきては新たな価値を見出し提供してきたけど、それは同時に
アンチを増やすきっかけにもなっていくねんね。
1999年にアートのアンチ集団が誕生して、あれよあれよと勢力を伸ばしていく
ことになるねん。
ロンドンでスタッキズム(stuckism)という新しいイズム(-ism – 思想ね)が
チャールズ トムソン(Charles Thomson)さんとビリー チャイルディッシュ
(Billy Childish – 2001年に脱退)さんによって作られて、そのスタッキズムの思想を持つ人ら(主にアーティストたち)をスタッキスト(stuckist)と呼ぶようになんねん。
スタッキストをコンセプチュアルアートのアンチ集団と紹介している人もいるけど
彼らのウェブサイトを確認する方が確かやね。
「スタッキズムは現代の問題に取り組んだ最も重要な手段とするアイデアで
新しい具像絵画を推進することにある」
「20世紀のモダニズムは、作品によってではなく批評家の支持に媚びた制度的、
経済的な力によって存在しており、ますます断片化され、孤立し、物質に
取り憑かれ、見当の付かない芸術の権威主義となってしまった。
スタッキズムはそんな20世紀のモダニズムの発展に対し反論するものである。」
(1999年に書かはったから「20世紀」のままで止まってんねん)
ほんで、次のようにもっとハッキリと述べてはるわ。
「スタッキストは、いわゆるブリットアート(イギリスのコンテンポラリーアートをブリットアートって言ったりするねん)、パフォーマンスアート、
インスタレーションアート、ビデオアート、コンセプチュアルアート、
ミニマルアート、ボディアート、デジタルアート、そして死んだ動物や
ベッドを取り入れたアートと称するものの現在の虚勢に反対している。」
「死んだ動物」は、デミアン ハーストさんの作品で、「ベッド」はトレイシー
エミンさんの「My Bed」のことね。
因みに、なんでスタッキズムって名前にしたかっていうと、ビリー
チャイルディッシュさんの前の彼女だったエミンさんが彼のペインティングのことを「スタックしてる」(stuck – 進展がなく行き詰まってる)って言ってたので、そこから取ったんやって。
アンチって昔からいろんなことで存在するから別に目新しいものでもないねんけど
近年イズムとして認識されているアーティストのグループってこのアンチ集団
スタッキストくらいとちゃうかなと思うねんけどね。
因みにスタッキズムの元として紹介されているのが1979年にカレッジの学生らに
よって結成されたパフォーマンスグループ「The Medway Poets」で、彼らは
イギリスのパンクミュージックカルチャーのカオスでアナーキーな性質をベースに
した詩を作ってパブで読み上げたりフェスティバルでパフォーマンスしたり
してはってん。一言でゆうたら「あらゆるものに対する怒り」を詩にして
表現してはったってことやわ。その当時(サッチャリズム)に対するものからグループの他メンバーに対する不満まで、その対象はなんでもええねん的なものやった
らしいけど、その時代の流れを上手く掴んで結構多くの支持者を集めたらしいわ。
さて、1999年に公表されたスタッキズムのメンバーが目の敵にしているのが
ターナープライズやねん。
テートブリテンで開かれた2000年のターナープライズのショートリストの作品展示期間中にテートブリテンの前でメンバーがピエロの恰好して抗議活動しはってん。
イギリスのアート界の権威を馬鹿にする発言やプラカードや風刺画を使って、
まあデモみたいなもんやわ。それが2010年ごろまで毎年続いてん。
テートのダイレクターやったニコラス セロタ (Sir Nicholas Serota)さんがやり玉に挙げられてたわ。
下の画像にあるセロタさんの似顔絵+赤いパンツが描かれた絵があるやろ?
皮肉ってる絵やねんけど、「このパンツは1万ポンドの価値があるとされる
トレイシー エミンの本物の作品やろか?それともくだらないニセモノ(そんじょそこらにあるパンツ)やろか?」と、そのパンツをアート作品として入手すべきか
悩んでるセロタさんの絵やねん。(っていうかニヤ付いてるセロタさんやね)
Retrieved from stuckism.com / Released under GFDL
一時期は結構な話題になってたけど、今ではテートや他のギャラリーへの
抗議活動もなく、地道にアート活動しているみたいやわ。
スタッキズムは思想としてコンテンポラリーアートの世界では人気なかったし、
アート関連のメディアやマスコミからは軽蔑されてた感があったんやけど
スタッキズムのムーブメント自体はイギリス国外にも広がって大きくなってん。
スタッキストたちがターナープライズに抗議活動を始めた2000年以前の年も
同じような人らによる妨害はあってん。
ただ、スタッキズムが生まれる前やから単純にそういう人らのことを
「プロテスター」と呼んでてん。
有名なのは1998年のクリス オフィリさんが受賞しはった時で
イラストレーターであるレイ ハッチンズ (Ray Hutchins)さんが牛の糞を積んだ
リヤカーを持って来はって、その糞をテートギャラリー(現在のテートブリテン)の
エントランスの階段に捨てて「モダンアートは全く馬鹿げてる」って書いた
プラカードを立てた件が結構話題になったわ。
ハッチンズさんはミッドランズの西にあるスタッフォードシャー(Staffordshire)に
住んではる当時66歳のおっちゃんで、近所の農家からリヤカーとシャベルを借りて
牛の糞を集めたらしいけど、集めるのに苦労しはったらしいわ。そのせいで心臓発作起こさはって一時期入院したはってんて。
ロンドンに行かないよう奥さんが説得してはってんけど無駄やったみたいやわ。
とうとうロンドンのテートギャラリーに牛の糞を積んだリヤカーを持ってきて
シャベルで糞を階段に捨てながら「ずっとこれをやりたいと思ってたんや」って
叫んでたと、その当時の新聞に書いてあったわ。
彼曰く「今こそコンテンポラリーアートのバカバカしさに立ち向かうべきや。
大抵の一般市民はこういうアートを嫌っているやんか。ヒツジや牛の死体の作品
(デミアン ハーストさんのね)もそうやけど、今回の象の糞で我慢の限界にきたわ。
画力のある本物のアーティストがターナープライズを受賞すべきや。」って
コメントしてはるわ。
この事件は当時いろんな新聞が載せてはってメディアに取り上げられてたのを
覚えてるわ。おかげでクリス オフィリさんの受賞よりこの事件の方が大きく
なってしまった感じやったわ。
他にも1993年のレイチェル ホワイトリードさんが受賞したときは、これまた
テートギャラリーのエントランスの階段でKファンデーションと名乗る
元ロックスター数名(誰や?)からターナープライズの賞金の2倍のお金を
「最低のアーティスト」であるとして受け取るよう強制されたり、1999年の
トレイシー エミンさんの「My Bed」の展示中に、上半身はだかの中国人
アーティスト2人がエミンさんの作品であるベッドに飛び乗り枕投げをやりだして
中国語でなんか叫んでたとかもあったわ。
(ウォッカの空瓶を振り回そうとしたとこで捕らえられたらしいわ)
まぁ、いろんな人がいるからね。
こういう人らを馬鹿にして終わってしまうのは、なんか違う気がすんな。
スタッキストがあってこそのコンテンポラリーアートの面白さやと思うしね。
そんじゃ今日はこのへんで。
次はイギリスで開催されたセンセーショナルなエキシビジョンについて書こうかなぁ ― センセーショナルね (意味深)