こんにちは、2階のおばちゃんです。
さて、今日はYBAsの中の一人、レイチェル ホワイトリードさん(Rachel Whiteread)の作品について書くで。
彼女は自分の部屋やスタジオ、住んでいる地域にある物と物との空間や
それらを取り巻く空気に焦点を当てた3D作品を作っていることで有名やねん。
ワードローブの中とかベッドや階段の下とか物の周りにある空間や空気という
見えない部分をプラスター(石膏)で形にしはるねん。
例えばワードローブの作品があるねんけど、中の服とか全部出してワードローブの
各ドア部分に穴をあけて、そこにプラスターを流し込んで元のワードローブの型を
はずすというプロセスで作られたものやねん。
1990年に27歳で「Ghost」って言う作品を作らはってんけど、自分が子供のころ
育った地域で見つけたビクトリア調の一軒家のリビングルームの中をプラスターで
固めはってん。
「部屋の中の空気をミイラ化させる」つもりで作ったってコメントしてはるわ。
ここで分かったかと思うけど、そうやねん、彼女の作品
とてつもなくデカイのが多いんよ。
「Ghost」Photo by Sara Lee/The Guardian
このGhostがきっかけで、あの有名な今は存在しない「House」(正式なタイトルは「Untitled (House)」の作品へと繋がんねん。
「家を一軒丸ごと作品にしてみたい」ってなるねん。
思うのは簡単やけど、やるにはとてつもなく費用がかかるし、もちろん彼女に
そんなお金ないから誰か資金を提供してくれはる人を探さなあかんやん。
現実的に無理やし「クレイジーなアイデアやわ」で片付けてはってん。
ところが1991年のある日、Artangel (ロンドンの芸術団体)の共同ディレクターであるジェームス リングウッドさん(James Lingwood)が彼女のスタジオに遊びに
来はって、このクレイジーなアイデアをリングウッドさんに話してみたら
協力してくれはることになって実現へと動き出すねん。
まず、彼女が馴染みのある北または東ロンドンのあたりで取り壊し予定の家を
探すとこから始まってん。
運よく東ロンドンのグローブロード193番地に建つ取り壊し予定の
3階建てテラスハウスを見つけはってんけど、人がまだ住んではってん。
そこはBowという地区で、役所が何年も前からその住人に高層マンションへの入居を促してはってんけど住人は納得してはらへんかって住み続けてはってん。
最終的にビクトリア調の家を役所が提供して移り住んでもらうことに成功したのが1993年、作品に取り掛かるまで2年ほどかかってん。
役所はこのグローブロード193番地の家を作品に使用することの許可は
出さはってんけど、どっちにしろ建物の取り壊しが決まっている地域やから
作品を作っても取り壊されることになるねん。
役所が使用期間として出した日数は当初の日数より10日間延ばしてくれはって
80日になってん。
役所は最初、期間の延長を拒否してはってんけど、その協議の最中
ホワイトリードさんがターナープライズ (1年に1回開かれるイギリス在住の
アーティストを対象とした有名な賞)を受賞しはって
それで延長OKになったらしいわ。
1993年8月にようやく作品作りが始まんねん。
「この作品を作るという点では複雑ではなかった。型になるもの、つまり家そのものはすでに存在していたから、その建物の中に建物を作るのが仕事だった」ってコメントを残してはるわ。
家の中の要らんもんを取り外し、新しい構造体(要は作品ね)を支える金属製の
骨組みを建てて現場打ちコンクリートで固めはってん。コンクリートが乾いたら
”家の型”を取り外して完成させんねんけど、取り外し易いように家の壁と
コンクリートがくっつかへんようにするスプレー剤を探すのに苦労したんやって。
Licensed under spaceandstory.com Photo by Johnny Rooke/flickriver.com
「House」は1993年10月25日に公開され、1994年1月11日に取り壊されてん。
この作品、すべての部屋の空間を固形化しはってんけど、屋根裏部分の空間が
ないねん。
ここの地区って元はテラスハウスがズラッと並んでてBow区役所が所有してる
物件やってんけど、第二次世界大戦で結構破壊されてしまってボロボロやってん。
それで取り壊して公園にしましょうってことになって住人達は住み慣れた家を
出ないといけなくなってん。
ホワイトリードさんはこの経緯を英語の慣用句の1つ「with no roof over one's head」(「住む家がない」と言う意味)にたとえて、屋根裏の空間を作成するのを
やめはってん。
最終的に作品が取り壊されたことについて彼女が次のようにコメントを
残してはんねん。
「この作品が取り壊されることになるのはわかっていた。チャールズ サーチが作品に車輪を付けて彼のギャラリーに移せばいいと提案してくれたが、私はそれを
望まなかった。グローブロード193番地がこの作品の場所であり、そこに居るべき
ものだった。取り壊されるのはいい気分じゃないしトラウマになった。
でもこの作品は私の中にあり続けているし、多くの人たちに記憶として残っている
ことに誇りに思う。」
おばちゃん、この作品に関する話はもっと書きたいんやけど
長いと読むのつかれるやん?ってすでに長いかもしれんけど。
この存在しない「House」は、それが作り出される過程やホワイトリードさんの
コメントも含めて1つの「House」っていう作品やとおばちゃんは思てんねん。
彼女の作品は写真で見るのと実際に見るのでは全然違うんよ。
第一印象は「不気味」の一言やねん。なんか得体のしれない不気味さと
静けさやねんけど、それが次第になんか「懐かしさ」みたいなものに変わる感じが
するねん。過去からのメタファー的な存在に見えて、その過去っていうのは
ホワイトリードさんだけじゃなくておばちゃんも入ってるんちゃうやろか?って
思ってしまうような人類規模の「懐かしさ」があるなぁと思えてくるねん。
彼女の作品の空間はそこに固形化して存在するけど、誰もその空間の中に
入ることはできないんよね。
中に入れるようにしたら、空間の中にこれまた空間出現ってなるから
あかんねんやろか…
彼女の作品はイギリスで結構いろんなとこにあるから機会があったら
見てほしいなぁ。。。と思てます。
次はもう1っこおまけに他のコンテンポラリーアート作品について書くで~。
もうええわって言わずにまた読んでな。