こんにちは、2階のおばちゃんです。

 

今日はネオコンセプチュアルアートについて書くね。

前回のおばちゃんの初ブログ「FREEZEとYBA」読んでくれた?

そこに「ネオコンセプチュアルアート」って言葉メンションしてんねんけどね。

 

なんやねん、その「ネオコンセプチュアル」って?と思わへんかった?

これ、「コンセプチュアルアート」の進化形として付けたアートのスタイル

やねんけどね。「ネオコンセプチュアルアートとは、これですねん」って言える人

いるやろか? おばちゃんも正直、ようわからんわ。

じゃあ、なんで前回のブログでYBAsの作品をわざわざ

「ネオコンセプチュアルアート」って言ったのか不思議やろ?

おばちゃん、コンセプチュアルアートの進化形とされる呼び名が厄介で嫌やねん。

嫌やからちょっと物申したいねん。

で、あえて前回のブログでネオコンセプチュアルアートって嫌味を込めて

使わしてもらいました。

 

知ってる人多いと思うけどね、コンセプチュアルアートのムーブメントが

1960年半ば~1970年半ばまであってんね。

コンセプチュアルアーティストって言うたら、真っ先にフランス人の

マルセル デュシャン(Marcel Duchamp)さんが思い浮かぶよね。

彼の作品Fountain(日本では「泉」ってタイトル)は、公衆便所の男性用便器を

逆さまにして展示したもので、今はイギリスのテートモダンっていうでっかい

ギャラリーで見れんで。

Fountainはデュシャンさんがその便器に「R. Mutt 1917」ってサイン入れてるとおり1917年の作品やねん。

もちろん、そのころはコンセプチュアルアートって呼び名がなかったからね。

ニューヨークの独立芸術家協会(Society of Independent Artists)のグループ展

向けにFountainを提出したら、そこのディレクタ達から「なんかこの作品、

男性用便器にめちゃ似てるわ…って便器やないかい!」って言われたかどうかは

知らんけど、「これは男性用便器であり、アート作品ではない」って結論に達し

展示を却下されてん。

因みにデュシャンさんは自分の作品を「レディーメイド」って呼んではって、

「レディーメイド」って言葉はデュシャンさんによって生まれた言葉やねん。

ところがこの作品、ある日どっか無くなってしまうねん。

壊したって説もあるけどね。

でもラッキーなことに、アメリカ人の写真家がこの作品を写真に収めてはったから

それを参考に1964年にレプリカを複数作らはってん。

あ、ちゃうわ、衛生陶器のメーカーに便器を発注しはってん(サイン「R. Mutt 1917」も書き直し)。そのうちの1つがテートモダンにあんねん。

   

オリジナルのFountain            デュシャンさんとFountain

(photo by Alfred Stieglitz)     

 

コンセプチュアルアートって「アイデア重視アート」とおばちゃんは呼んでんねん。

普通、芸術言うたら絵画、彫刻、写真…ってアーティスト自身が試行錯誤したり

テクニックを駆使したりして自分のアイデアを形作っていくことやろうけど

コンセプチュアルアーティストは作品を「作る」という行為はどうでもいいんよ。

何が一番大事か言うたらアーティストが頭ん中で閃いた「アイデアや発想」やねん。それを表現できるもんやったらどんな技法でもいいねん。(要はなんでもありやね)

「レディーメイド」(他人が作ったもの)の便器が、今まで便器としか認識されてへんかったけど、あるアーティストが「それは便器ではなく、美しいFountain(泉)ではないか」って閃いて、便器じゃなくて「Fountain」として展示しようぜっていうこと

やねん。

コンセプチュアルアーティストにとっては、伝統的な技法の作品やと自分らの

アイデアや発想が伝わらへんし、アート作品が生活便利品と同じように

次々売買されてあまりにも商業的になってしまってけしからんから

アートを開放しようって思いやったんやろな。

アイデアや発想は誰でも持ってるんやから、みんなアーティストでええやんっていう思想から生まれたものがコンセプチュアルアートやねん。

 

1960年半ば~1970年半ばまでコンセプチュアルアートのムーブメントのあと、

「コンセプチュアルアート」の頭に「ポスト」と「ネオ」を付けて

呼ぶようになんねん。

1960年半ば~1970年半ば: コンセプチュアルアート

    1970年半ば~現在: ポストコンセプチュアルアート 

                   (次の世代のコンセプチュアルアート)

                1980年~現在: ネオコンセプチュアルアート 

                   (進化した最新のコンセプチュアルアート)

 

ポストコンセプチュアルアートとネオコンセプチュアルアートはどっちも

コンセプチュアルアートが進化したものやと言われてんねん。

で、どう進化したんですか?って思うやん。

いろいろ理由つけて違いを述べている人もいるけど

おばちゃんも「どう進化したんですか?」って言いたいねん。

コンセプチュアルアートの概念は今のアート界でも揺ぎ無く定着してるし

変わったといえば時代とともに世界情勢も変化し、テクノロジーが発展し

そのおかげでアーティストのアイデアや発想を表現する技法の選択枠が増えただけのように思えるねん。

それがコンセプチュアルアートの進化って呼べるのかなぁと疑問に思うねんね。

「自分はコンセプチュアルアートをやってます」とか

「自分の作品はコンセプチュアルアートです」とか言うアーティストは

多数いるけど、「自分はネオコンセプチュアルアートをやってます」とか

「自分の作品はポストコンセプチュアルアートです」って言うアーティストには

おばちゃんの知る限りお目にかかったことがないわ。

そんなふうに言う人いたら、なんか滑稽に聞こえて

おばちゃんブッて笑ってしまうかも。

日常の会話で「コンセプチュアルアート」や「コンセプチュアルアーティスト」って言葉は良く聞くけど、「ポストコンセプチュアルアート」や

「ネオコンセプチュアルアート」って会話の中ではほとんど使われへん言葉って印象やねん。どっちかというと活字の媒体で出てくるイメージやわ。

当のYBAたちも自分の作品が「ポストコンセプチュアルアート」や

「ネオコンセプチュアルアート」って言われるのを嫌がってたのは有名な話やしね。

 

因みにアート界は、ism(思想)を付けんのが好きやし、ismで話すのが好きやねん。

インプレッショニズム(Impressionism)、コンセプチュアリズム(Conceptualism)、ポストモダニズム(post-modernism)とか… もちろんネオコンセプチュアリズム、ポストコンセプチュアリズムもあってテンコ盛りなんよ。

ほんましんどいわ。

 

また長なってしもた。

次はイギリスのコンセプチュアルアートの作品をピックアップするね。

おばちゃんの好きな作品を紹介するわ。待っといてね。