「こちら救急救命センターですが、ユウキさんのご自宅ですか?」
そうそれは、私たち家族の運命を大きく変える1本の電話だった。
弟はある日突然、帰らぬ人となった。
突然の出来事だった。
あまりにも突然のことで、夢なのかはたまた現実なのか、理解できなかった。
ただ「何としても母を守らなくては」と強く思ったことだけはハッキリと覚えている。
私と4学年下の弟は、サラリーマンの父と専業主婦の母との間に生まれた。
お勉強もスポーツもできず、どんくさい感プンプンだったのが私。
弟は、勉強もそこそこできたし運動神経も良い方だったと思う。
特に足が速く、よくリレーの選手に選ばれていた。
ボーっとしている私が、なんでもすぐにできる弟に勝てることは少なく、
また、超がつくほどのおしゃべり男だった弟には喧嘩でも打ち負かされていた。
それでも一緒によく遊んだ。
近所の子たちとドロケイしたり、幼なじみと銭湯へ行ったり、仲良し家族同士で毎冬スキーに
行ったり。
アラレちゃんを見たり、キン肉マンを見たりファミコンしたり。
私と弟は、ごく普通の家庭でごく普通に、個々がやりたいことをやらせてもらいながら
のびのびと育った。
そんな私たちだったが、私が高校生になるタイミングで家族のカタチが変わった。
諸事情により、父と別居することになったからだ。
以降私たち3人と父は、少しずつ疎遠になっていった。
半シングルマザーとなった母は、きっと「子供たちに不自由な思いはさせない」の一心だったと思う。
働いて働いて働いて。
気が付けばバリバリのキャリアウーマンになっていた。
弟は大学進学と同時に私たちの元を離れた。
彼をひとまわりもふたまわりも大きくしてくれた大学時代は、「彼のすべてが詰まってる」と
言っても過言ではないと思う。
友に恵まれ、師に恵まれ、「第二の故郷」と呼ぶほどまでにその地を愛した彼は、卒業後
そのままその地で就職した。
「まったく!!!あの子から連絡が来るのはお金が無くなった時だけ!!!」
と、よく母が嘆いていたけれど。
でもきっと、男の子ってそういうものでしょう???
彼は彼の世界を思いっきり生きていた。
一方の私は、母と愛しのワンニャンズとの「女2人+ペット」という最強の日々を送っていた。
女2人生活が長くなるにつれ母との絆は強まっていき、いつの間にか周囲からは
「一卵性母娘」と呼ばれるようになっていた。
キャリアアップと共に、母は私にかけてくれるようになった。
自分ではなかなか買えない洋服は決まって母が買ってくれたし、自分では行けそうにもない
レストランへもよく連れて行ってもらった。
いい大人と呼ばれるほどの年齢になってからの語学留学も、バックアップしてくれた。
私は存分に母に甘えた。
が、弟はそうではなかった。
男女の違いか、はたまた性格の違いか。
弟は自分の夢を叶えるため、ただただがむしゃらに生きていて、そこに母のチカラを借りようとすることはなく、また、母に甘えまくっている私に対し、ひがんだり妬んだりするということも皆無だった。
それぞれそんな風に生きていて、1年に1度会うか会わないかぐらいの姉弟だったから。
自分が姉であることを、自分に弟がいることを、私は何かあった時に「思い出す」ぐらいの感覚になっていた。