セックスの経験人数は好きな人に聞かれたら少し困るくらい。身体が壊れてもセックスを続けた。でも性産業には関わることが出来ないくらいの臆病な女である。


両親とは仲がいい。片親でもない。親はきっと毒親でもないと思う。それでも自分の人生における課題は家族だって思う。


不安障害を抱えた。今年の春のこと。発症は8年前かららしい。


そんな私の人生を。誰にも描かれることがなくて、私自身が社会学で蹴りをつけたくて、探していた文章を、いくら探しても見つからないので、自分で書いてしまおうと思う。



 不安障害だと言われた


「不安障害だね。小さなことも不安になって何も出来なくなってしまうんでしょう」


メンタルクリニックの先生にそう言われた。確かにそうだ。オーバードーズをしても頑なに行くことの出来なかったメンタルクリニック。今年の春先、やっとの思いで大学の診断書のために行ったら、すんなり病名をつけて貰えた。発症は中学1年生の頃かららしい。自分がオーバードーズとは何とは分からず、母親の向精神薬を盗み飲みした時の年である。


中学生女子

今思うと、制服が可愛くて、修学旅行が海外であることに憧れて入った私立中学があっていなかったんだと思う。勉強は難しかったし、拘束時間が長くて、続けたかったスポーツも続けられないほど忙しかった。小学校の時の友人が、楽しそうに土曜日遊んでいたり、部活をしていたのをみて羨ましかった。


それに加えて、当時の私からしたら、自分の家庭はは不幸で周りとは違った。小学校の時に仲の良かった兄と、父親が違うと言われた。さらに父親は単身赴任中に借金を作っていた。母親に


「パパは、あんたがモノを強請るから借金するんだよ」


と言われたことは今でも忘れられない。そんなことをあったからなのか、母親は精神科に通っていて、強い薬を服用していたのも知っていた。


そんなこんなで、私も小学生の頃にリストカットをしたことがあったのと、私立中学ではなにも取り柄がなく、目立てない私の承認欲求を満たすために、母親の薬を盗んで、中学のお昼休みに飲んだ。


気づいたら病院のベットの上だった。


当時は薬を盗んだこともバレていなかったし、小学校時代、受験の疲れで倒れたこともあったので色んな検査をして、一応、病名がついた。クラスメイト全員から色紙を貰ったり、友達にお見舞いに来てもらったりして、承認欲求は無事に満たされた。


ただ片田舎の中学で噂はすぐに広まる。


「薬を飲んだから入院したらしい」


「サボるために病院通ってるんだよ」


とかなんとか。そしたら本当に噂や人間関係が苦しくなって、不登校になってしまった。


診断名を聞いた日、そんな日々のことを思い出した。その後、両親は不登校の娘を育てるために必死になって、疲れて、不仲になってしまった。全部私のせいなのだろうか。


正直、不安障害だと言われて、安心した。


自分のこと不安定さは病気のせいだと思えるから。あの時にした過ちや、私の消えない過去はそのせいだと思えるし、今も不安にはとても弱くて。普通の生活はできない時もあるから。少し生きやすい。


ただ私が作った火種に、今後も向き合っていかなければいけないのだと思うと少し怖い。ずっとずっと、いい顔を家族に向けなきゃいけないんだろうか。自分がいつか自分を殺してしまうんじゃないかとか、シンプルに就職しても続くんだろうかとか。


病名を付けにいったこと、本当に安心していいんだろうか。