先日、集中内観に参加してきました。 これから何回かに分けて内観体験記を書きます。 2013年03月06日 内観体験記 その1 http://maya555.seesaa.net/article/343221566.html 2013年03月06日 内観体験記 その2 http://maya555.seesaa.net/article/343221715.html 2013年03月06日 内観体験記 その3 http://maya555.seesaa.net/article/343222676.html ------------------------- まずは、母親に対する自分を 生まれた頃から思い出すところからスタートです。 最初の1~2日目は、状況に慣れるだけで精一杯でした。 半畳スペースに座り続けること、沈黙を守ること、 タイムスケジュールに慣れることでいっぱいいっぱい。 子どもの頃、 していただいたことも、お返しをしたことも ご迷惑をおかけしたことも、特に何も思い出しませんでした。 「私は、今まで誰かにとても御世話してもらった記憶もないし、 逆に、誰かにすごく迷惑をかけた記憶もあまりないんだなぁ」と感じ、 「それって、結構傲慢な視点じゃないだろうか??」と気づきました。 なんで思い出せないんだろうなーと、もう少し深く内省してみると 「子どもなんだから親に何かしてもらって当然」 「子どもなんだから返すことができなくても当然」 「迷惑は、そりゃ子どもなんだからいろいろあっただろう」 という奥底の気持ち(エゴ)にぶち当たり、 「わ、私ってなんてひどいんだろう」とがく然としました。 また 面接者に「次は何歳から何歳までの自分を調べます」と言うべきところを 「次は何歳から何歳までの自分を調べたいと、思います」 と無意識に言ってしまい、 「思考と行動が一体化しているなぁ。まだ自己を相対的に見ていないなぁ」 「これ、思考じゃなくて、ハートで気づくことが目的なんだろうなぁ」 と思ったりしました。 ・・・・と、いろいろ苦労しつつ、 子どもの頃のことを何とか思い出し、自分の中に在った記憶を見つめました。 私は、あの頃、母から見るとどんな子どもだったんだろう。 自分の中に在った記憶を、そういう視点から改めて振り返ると いろんな感慨が生まれました。 「感謝するにしても、お詫びをするにしても これまでの見方はほんと自分本位だったんだなぁ」 「自分の見たいようにしか見ていないんだなぁ」 「自分が記憶したいようにしか、記憶していないんだなぁ」と思いました。 ------------------------- 3日目。7回目の面接。 私にとって最初の大きな気づきは、3日目の最後の面接でした。 この時初めて 「今まで私はこの出来事を 『親から愛されなかった』出来事として見ていたけれど もしかしたら実はそうではなかったかも知れない」と気がつきました。 「あのときの私はそう受け取ったけれど、 親は親なりに愛してくれていたのかもしれない」とふと感じました。 その出来事と今、気づいた気持ちを面接者に泣きながら話すと これまでどうしても手放せなかった 「あのとき愛して欲しかったのに愛されなかった」という感情が 文字通りポロッととれていくのを感じました。 そして 今、面接者に話した気づきが 私の人生に「ライフストーリー」として組み込まれたような気がしました。 「あ、内観ってこういうことなんだな」と初めて思いました。 「内観とは、私が勝手にこしらえたライフストーリーを相対化して、 また新たに再統合することなんだな」 「そういうプロセスを思考レベルではなく、ハートで行うんだな」 と感じました。 内観は、表面的には3つの設問を通じて 「親の恩を知れ」「親に感謝しろ」と促されているようにも見えます。 しかし実は、自分の深いところでこのような ライフストーリーの相対化と再統合が行われているのでは、と感じました。 どんな人も子どもの頃、 「自分はもらいっ子なんじゃないだろーか」と 1回くらいは思ったことがあるんじゃないかと思います。 親のことが大好きだからこそ 親に愛してもらえないという悲しみも、同時に抱えていたりすると思います。 そういう気持ちを抱くに到った出来事を、 1回や2回ぐらいはみんな経験していると思います。 そして、そういう「愛されなかった」経験を 自分の中で何度も何度も繰り返していて、 すごく大きな出来事にしていたりする場合もあると思います。 内観は 自分で増幅させ、こじらせている過去認識(含む感情)を中和し、 新しい過去認識として自分の人生に再統合するのに役立つ手法だと思います。 そういうことに、3日目の最後に気づきました。 そしたら、4日目からは内観がすごく楽しくなってきました。 楽しくなるのと同時に、意識が内面に集中し始めたのか 子どもの頃から現在までの自分を 記憶格納庫がパカーンと開いたみたいにどんどん思い出し始めました。 全部覚えているんだな、忘れていないんだなと思いました。 滅多に使わない記憶格納庫がどこか別のところに隔離してあって そこにアクセスするのに、私の場合は約3日かかったんだと思います。 必要な答えが 自分の深いところからこだまのように返ってくるようになってきました。 この「開いているんだけど、同時にすごく集中している」感覚が とても心地良かったです。