昨年6月頃から辻堂のアロマサロンへ通っています。 私にとって、月一回のこの日は 自分を大切にするひとときであり 尊敬しているセラピストさんのプロフェッショナルな仕事ぶり・生き方を 学ばせていただく貴重な機会になっています。 先日は、毎月恒例アロマトリートメントの日でした。 事前の予約時にKさんから 「まやさんにそろそろお勧めしたいメニューがあります」と言われていて とても楽しみにしてました。 そのお勧めメニューとは チャクラクリアリング・トリートメントでした。 Kさんが瞑想後、私のチャクラに合わせた精油を選び それを各チャクラにポトリと落としてアロマトリートメントをします。 とても興味深い感覚体験でした。 チャクラが開くというか、身体感覚がビョーンと拡大した気がしました。 オーラフィールドが広がるんだと思います。 特に 胸回り(肋骨周り)が広がったような気がしました。 トリートメント開始後しばらくしたら、深々と呼吸ができるようになりました。 新しい空気を身体の隅々にまで行き渡らせることができて その状態がすごく心地よかったです。 アロマトリートメントが終わって、しばらくぼんやりしていたら そのサロンの上空を 飛行機が爆音をとどろかせながら行き交っているのに気がつきました。 何回もこのサロンに通っているのにもかかわらず、今まで全く気づきませんでした。 「この先に厚木基地があるからなんだな」と、このとき初めて思いました。 Kさんに飛行機の爆音のことを言うと このメニューを受けると、チャクラが開いて五感が鋭くなるので 外界のあらゆる刺激に敏感になるんだそうです。 また このメニューは、その人の深いところにアクセスするので 人によっては前世の戦争体験などをビジョンで見たりすることもあるそうです。 Kさんからそう聞いたとき、 「そういえば・・・・」と思い出したことがありました。 2012021433.jpg http://www.ashinari.com/ 私は小3~6ぐらいまで北九州市の小倉に住んでいました。 あるとき 道端に坐って頭を下げている片足の傷痍軍人を見かけました。 その姿を見かけたとき 居たたまれないような何とも言えない気持ちになって 帰り道でしくしく泣いたことをよく覚えています。 なぜかそのときのことを アロマトリートメントの前日に何となく思い出していたのでした。 「あのときの気持ちは何だったんだろう」と。 今回 このトリートメントメニューを受ける意味は、 このことだったんだなと思いました。 今、改めて考えると あの当時、傷痍軍人はもうさすがにいないと思うんです。 生活に困った人が傷痍軍人を装っていたんだと思います。 当時、私はおそらく小4ぐらい。 その人が傷痍軍人らしいとはあまり理解できず もちろん実は違うかも?と察することもできなかったんですが ただただその人の姿を見て、居たたまれない気持ちになったんです。 今、思うに 当時の私が感じた気持ちは「かわいそう」という同情心とは微妙に違っていて 「のうのうと生きててごめんなさい」 「本当に申し訳ない」という罪悪感に近いものでした。 私たちは 「生まれてきてごめんなさい」「今、私は生きててもいいのでしょうか」 「のうのうと生きてて、申し訳ない」という 自己存在そのものに関する根源的な罪悪感をある程度持っていると思うのです。 より正確にいえば、 自己存在感にまつわる罪悪感を持っていると思い込んでいる人がいると思います。 たとえば私のように、そんな思い込みに強くとらわれている人がいます。 そのことが 自己評価の低さや自己肯定感の脆弱さ、 自己抑圧的な言動につながることもあります。 今回、2日間にわたって 子どもの頃の気持ちを思い出したということは 自己存在にまつわる罪悪感めいた思い込みにアプローチをする タイミングが来たんだなぁと思いました。 当時の思い出をKさんに話していたら 悲しくもないのに、すーっと涙が出ました。癒しが起こってる。 その最中もサロンの上空では 飛行機が爆音をとどろかせて行き交ってました。 私は、前世で飛行機乗りの軍人だったのかもしれません。 戦争で誰かを殺したり、殺されたりしたのかもしれません。 まぁ、そう言う前世もいくつかは抱えているのでしょう。 2012021422.jpg http://www.ashinari.com/ 「もう 『のうのうと生きててごめんなさい』 『私はこうしていてもいいのでしょうか』とこわがらなくてもいいんだよ」 「今、こうして生きているだけでOKなんだよ」と ここ最近は、自分に言い聞かせています。 その後も呼吸がしやすいです。 今まで7割ぐらいしか呼吸してなかったんじゃないかと思えるぐらいです。