「この船に乗らないわけにはいかない」
そんな言葉を連発していた俳優・香川照之。
いまや映画界、テレビ界では欠かせない存在の役者となった。
歌舞伎役者の長男として生まれた彼にとって、歌舞伎俳優として家業を継がなかった、
いや継げなかったことは、しこりとして心のどこかにあったのだろうか?
NHKの番組「ラストデイズ」の中で、香川自身が松田優作の出自を探りながら、
優作ゆかりの地を訪ねていた。
番組は、優作が亡くなる前にボソリと、香川に言った言葉がキーワードとなり謎を解明していく。
1989年10月に放送した「華麗なる追跡」で、優作と香川は初共演した。
当時、まだまったくの無名だった香川に対し、すでにスーパースターだった優作は、
こんなことを言った。
「おまえは、オレになれる」
優作が放ったこの言葉には、どんな意味が込められていたのだろうか?
いまとなっては、知る由もないが・・・
優作は、この言葉を遺し、数ヵ月後この世を去る。
「ラストデイズ」の中では、香川自身が優作の生家がある山口県下関を訪ねる。
優作は、在日韓国人の母と日本人の父の間に生まれたが、父を知らず私生児として育った。
香川自身も父から、「あなたは、わたしの子供ではない」と言われたこともあり、
優作の境遇と自分を重ね合わせる。
お互いの出自は似ているが、優作が遺した言葉の意味は、それとは関係なさそうだ。
松田優作という役者は、命に関わる病気であることにも関わらず、病をおして、ハリウッド進出を果たした。
映画は完成したが、治療よりも役者の道を全うした優作は、映画公開から1ヶ月ほどでこの世を去る。
香川は、自問自答する。
「もし自分が同じ立場だったら、役者としてどっちの道を選ぶだろうか?」
先日、香川は歌舞伎役者としての道を歩むことを決意表明した。
45歳にして俳優から歌舞伎役者を志すというのは、どんな心境だろうか?
もしかして、優作が放ったあの言葉は、どんな困難にも立ち向かっていける役者に、
おまえはなれるという意味だったのだろうか?
今回、香川が決意した姿をみていると、そんな風に思えてくる。
「あんたは、わたしの子供じゃない」と、父である市川猿之助に言われ、その後絶縁状態となったが、
今年から親子で同居しているらしい。
そんな言葉を言われても、親を許し、親の家業を継ぐというのも、親子だけにしか分からない血のつながり
というものなのだろう。
市川猿之助が、子供として認知していてたら、香川は歌舞伎役者としての道を、幼きころから
進んでいただろう。
まもなく46歳になる歌舞伎役者の香川照之の初舞台見てみたいものだ。

