靴の横に干してるけどww
無農薬、無添加で作った梅干しと、川遊びで使ったシューズ、がね、干されてるのを見ながら思ったわけですよ。
「あー、あたしホンットに幸せだな〜」
って。
与えてもらったもの、与えられたもの、運、そういう事では、本当に、神様に感謝しても仕切れないぐらい、もうね
充分幸せなんですよね。
五体満足で。
特別に美人でもスタイルも良くないけど、充分なものをいただきました。
子どもも可愛くて、元気で、その元気を保つ為の知識も教えてもらうチャンスがあって、おかげさまで家族みんな元気。
旦那様は、どんな人に見てもらっても、最高のパートナーで、私の足りない部分を持ち合わせていて、、、
友達にも恵まれて、本当に、運で、与えてもらったものは、感謝仕切れないもばかり。
でね、
幸せだな〜
と思いながら、ふと、死を思い浮かべました。
死ぬ時に、どう思うかなーって。
このまま死んだら幸せなのかな〜って。
いやいやいや、あたし、与えてもらったものは沢山ありますけど、まだ何もしてない。
今のあたしに、足りないものがあるとすれば。
今のあたしに、後悔する事があるとすれば。
本気で、努力した事無い。
って後悔する気がします。
もう少し頑張ってみれば良かったなって。
、、、、大好きな心屋仁之助さんがね、よく頑張らなくていいよ。って話をするんですよね。
それで、最近思うのは、昔幼稚園の先生をしてた時に、
「頑張ろう!!」
って言うと、もう充分頑張ってる人が頑張るんですよね、もっともっと、頑張っちゃう。
「ちょっと肩の力抜こう」
って言うと、頑張ってない子ほど、都合良くとらえて、このままで大丈夫!的なことになるんですよね。
心屋仁之助さんは、自分の心に正直に。
って事もよく言うんですよ。
でね、そうすると、人に合わせて自分を出せなかった人よりも、充分人を振り回したり、充分無責任な人ほど、「自分に正直だから」みたいな事になったりする。
でもね、表情みてるとわかりますよね。
正直になってく人は、
開けてくる。顔が。
でも、自分が本当は、無責任=正直 に仕立て上げてるだけの人は、表情と環境が閉鎖的になっていく。
わかってるんでしょうね、本当は自分が一番。、逃げてるだけって。
私も、そうだなって。
頑張らなくていい〜〜は、本当にあたしがしたい事では無いのを知ってます。
頑張った事無いですもん。
楽しくて、好きだったから、人からは頑張ってる様に見えたかも知れないけど、私は楽しい事だけやってきました。
きっと、死ぬ時は、逃げてた事が走馬灯の様に駆け巡るんですよね。
親孝行とか。もっとしたかったなー。
本当にその稼ぎ方で生きたかったんだっけなー。
あの時こうしてたら、どんな景色みてただろうかー。
って。
人生は自分に嘘をつかない。
これがいつもテーマなのかなー。と思います。
子ども見てても思います。
頑張るの好きなんですよね、人間は本来。
大人は、その「頑張る」って意味が、ねじ曲がってしまって、
誰かを恐れて、何かを恐れて、いやいや、やる事を、
「頑張った」なんて呼んでますけど、
本来は、チャレンジしたい。頑張ってみる。
って言うワクワクに掛かることなんだと思います。
子どもに頑張らなくていいよー。なんて言うとね、つまんなそうに、手持ち無沙汰になるんですよね。
木登りも、リレーも、運動会も、未来の結果に向かってワクワクして、ちょっと頑張ったから、
楽しいし、やりきった感という、お金では絶対買えない、感情を味わえることができます。
無茶をするのとはまた違います。
ほんのちょっと、できそうでできないかも、みたいなところに一番いい感情の宝箱があるんです。
死ぬ時に
生きたーー!!!!
っていう、やりきった感、味わいたいと思ってます。
逃げる方が、簡単に見えて、罪悪感をあの世に持ってく。
代償はかなりのもんだ。
死ぬ時はからなず1人で向き合うんだから、
だったら、今からも
真っ直ぐ生きよう。
そう思います。
座右の銘は
一生子どな٩(ˊᗜˋ*)و
ワクワクと、チョッピリチャレンジ、一生大好物です。


