気付いたのが数日前で、撮影は昨日です。

 私が小学3年の時、市内の学区外の地区から、この家を新築した事に伴い引っ越ししました。恐らく昭和56年のうちに工事が始まり、翌年3月までには完成し、4月の新学期からこの家から通学していたと思います。

 

 父親は県庁職員、母親は専業主婦、姉(4歳上)と本人の4人家族で、和風の平屋建てでこの家に私は夏休みが終わって程なくした時期に遊びに来ました。色白ですらりとした長身の子でしたねぇ、3年生の頃は他にも今は初代コスモスポーツが入る家の子、繁華街の少し外れのやや古い感じの家に住む子、等々鼻の下を伸ばして遊びに行った40数年前を思い出し、そのうちの1件も遂に解体となり、鎮魂の意味を込めて今回のブログとしました。

 

 以前作成した記事とは違う感情がありました。

 アイ・アム・チューリュー!その2 | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

 恐らくはあの家の跡地はこの記事と同じ道を辿るでしょう。

 

 元カノは20年以上前に他家に嫁ぎ、中学時代腎臓を悪くして、以後激しいスポーツが出来ない体となり、運動部から吹奏楽部に転部。それが原因か判りませんが子供が授かりませんでした。姉も他家に嫁いでおり、20年以上老夫婦だけの家になりましたが、そんな老夫婦が家を建て替える様な余裕はあるとは思えず、恐らく父親か母親のどちらかが亡くなり、一人暮らしが困難になる事態に陥り、家を手放す事になるが、不動産屋から騙されたのか?古い家を解体しないと売れないみたいな事を云われて泣く泣く解体した様に感じました。

 

 この家は我が家の母屋と交換して欲しい位綺麗で、恐らくはこの数年で外観リホームした様に感じました。なので、老夫婦が建て替えて新しい家に住むとは到底考えられません。

 まず家の周りにグレーの防音壁が張られると、解体を意味している事が多く、外観リホームには思えませんでした。「ややや!これは解体だ!」が私の直感。

 悪い予感は的中。

 写真中央の部屋は記憶が鮮明。そこでおやつをご馳走になりました。

 お婆ちゃんから普段「何かご馳走になったら、きちんと報告しなさい。」なので「〇紀ちゃんの家でホットケーキをご馳走になった。」とお婆ちゃんに報告。お婆ちゃん電話して「今日は円淨がたいそうな物をご馳走になって‥‥。」とお母さんに電話。(お婆ちゃん当時61歳)私もピンクに同じ事を云っております。そしてシャインマスカットを上げた事ありますよ。

 

 元カノの姉は当時中学1年生。親父がその姉の教科担任で、親父も別の機会の時母親にお礼を電話で話しております。(まさかその後5年以内に亡くなるとはね)

参考真ん中お婆ちゃん(撮影時81歳。平成25年93歳で没)、左親父(撮影時40歳。昭和62年43歳で没)

 今この重機がある所が元カノと姉の部屋。バリっと綺麗なベストと紺の半ズボン、革靴風のズックで出向き、姉の学習デスクの椅子に座って宿題した後遊んだなぁ~。多分男の子はこの家に入った一番初めだと思う。・・・・・でもお婆ちゃん「円淨、おなごどばっかり遊ぶのではなく、おどごの子とも遊びなさい!」と厳しかった。戦前の教師故の男女付き合いご法度かな?親父は決してそう云う事はありませんでした。

 

 大体好きな女の子の家に行く時は少しオシャレを私なりに当時しました。

 

 そうですねぇ~、ドラえもんで云えば元カノ含め今直ぐに思い付くのは3人いるけど皆しずかちゃんキャラですねぇ~、私はスネ夫キャラでしたねぇ~(笑、当時は認めていませんが)まぁ翌年は「びんぼっちやま」に転落します(爆)こんな事まで思い出しました。スネ夫君今白髪交じりで、持病を抱えていますが何とか生きています。

 

 

カレーに必ず入れる具材は?・・・・玉葱と牛肉(牛筋)だね。

 

 実はカレーと云えば今回の記事を書いて思い出しましたが、3年生の秋地元の山(低山)で親子サイクリングでカレーを作って食べた。あの時〇紀ちゃんのお父さんが参加してくれまして、我が家は親父が珍しく参加。「あ~っ、先生、娘(姉)がお世話になっています…。」の挨拶から始まりました。あの時火おこしが親父で、調理の仕切りが〇紀ちゃんのお父さん。具材きりが誰だったかのお母さん等だったと思う。写真がどこかに残っている筈だ。

 

 

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