昭和41年の本日国道13号線の米沢ー福島間が開通した日です。
栗子の開拓は明治9年に就任した初代山形県令三島通庸によって就任早々開拓され、多数の犠牲の下明治14年10月に開通し、昭和7年6月~この道を改良した2代目の工事が始まり本格工事は昭和8年より始まりました。当時自動車通行が可能な道としましたが、戦後特に昭和30年代初めからのモータリゼーションには到底対応できず、昭和36年10月~全く違う位置に工事を開始(大成建設が主体)約5年に渡る工事の末本日が開通日です。
何と云っても凄い事は毎年11月~5月に入るまで通行止め(冬季通行止め)になる道でしたが、時々通行止めにはなる物の冬場でも概ね通行可能な事(本格的に通行ができる様になるのは平成の終わりになるまで待つ事となる)、高速走行ができる事(時速50㌔程度で走行ができる!)ここが大きいでしょう、当時は平均時速17㌔と現在の東京都内の平均速度と変わらぬ速度しか出せなかったので大きな変化ですね。それと今は撤去されましたが国道では日本初の釣り天井方式がこの栗子トンネルでした。
これが福島県側になる東トンネル。(西トンネルは山形県側)
コレが旧道末期~栗子国道工事、開通までの様子の記録映画です。
私の愛車は2代目末期、3代目の栗子トンネル、4代目の新栗子トンネルと走りました。今はコロナ禍で東京方面には行けなくなりましたが、4代目はオーバードライブの恩恵を大きく受けております。3代目でもオーバードライブのメリットはありますが、キックダウン操作が必須でした。
特に福島市飯坂からはキックダウン操作で一気に駆け上がり失速しない様に駆け上る運転が必要です。オーバードライブが使えない2代目よりはそれでも相当マシです。
かまねこさんの画像は見やすく判りやすいので、廃道55年となった2代目です。今は土木遺産としてまた地元の有志による整備保存がされ、何とか通行できます。当家の故郷はこの隧道から大分先にあります。(当家は明治22年辺りにはここを去りましたが、完全廃郷になったのは昭和7年6月)尚全住民が居なくなってから、残った家屋の残骸で2代目のトンネルの工夫の休憩小屋となり、工事後全て解体されました。
訃報:私が本格的にRS41にのめり込むきっかけになった廃車処分に関わった大伯母が5/28に満年齢104歳で亡くなりました。
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