ショックから大分癒えて来ましたが、同時に衝撃的な事実も判って来ました。

 大沼デパート最盛期は平成5年でありましたが、バブル期でも既に従業員の間では「やる気がない」社員が見られ組織が大分疲弊していたそうで、やる気がある従業員は倒産又は破産の危機に備えて早めに退職していたそうです。

 有能な社員程失われていた事実と私も隅々までは目にしていませんでしたが、商品によっては埃が被った状態で陳列されていた事実もはっきりしました。中には有能な社員もいましたが数は少なく、そのわずかな社員がどうにか支えていたみたいです。

 

 どこの組織もそうですが、有能な社員は全社員の2割以下、ダメな社員は2割、害もないけどそこそこはその残りと云われています。

 車輌の特徴から撮影は昭和35年(1960年)11月~昭和37年(1962年)の初期までの間でしょう。撮影地は大沼デパートの東側(東口付近)で「連日大廉売」の奥に濟生館(さいせいかん)病院=山形市立病院があるので間違いないです。

 手前のクラウンはフォグランプの位置からRS30型にも見えましたが、ガラスモールやフロントのエンブレムからRS21型でしょう。現在この通りは一方通行でこの様な走りは出来ません。見えにくいですがスタウトRK45が走る通りに当家親戚の笹沼玩具店がありました。大沼デパートのすぐそばでしたね。

 漸く探しましたがカラーの山形駅旧駅舎。昭和39年(1964年)です。写真中央にキャロル360、タクシーの多くがブルーバードP410なので間違いなく昭和39年の駅舎最晩年です。この時代わが愛車がこの構内のどこかに時々停まっていました。

 お爺ちゃんが48歳でここで助役として働いていました。

 

 こうして生き残るのも何かの奇跡です。かなり七日町も活気がありませんが、大沼デパートの関係者ばかりが悪いのではなく、官民挙げて「何とかしよう!」と云う機運に欠けていた事が今回の事態だったと思います。

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