何気に見ていたらヤフオクに昭和30年代の大沼デパートの絵葉書が出品されていたそうです。前日UPした通り大沼百貨店(初めは荒物屋)としての創業は1700年(元禄13年)ですから320年前で、デパートとしての創業は昭和31年(1956年)です。デパートを始めて間もない時期の絵葉書ではないでしょうか?その為本日のタイトルは草創期としました。
大沼デパートは昭和46年(1971年)に7階建てに増床しました。それ以前の貴重な写真で、これが絵葉書で出品されていたのです。
私が生まれる前に増床したので屋上の遊園地は全く記憶にありませんが、職場で元上司が「子供の頃まさに天国だった。」と話は聞いています。なるほどそうですな。
これは現在の姿。それと上の写真には建物の角に大沼と看板がありますが、子供の頃(昭和53年前後)まだ残っていた記憶があります。
外壁は色が変わっていますが、西口(写真の反対側)は写真と同じ黄色のペイントが残っていた記憶がありますが、草創期の名残だったんですね、今書いていて思い出しました。
そしてこの時代当家の親戚笹沼玩具店も張り合って来ましたよ!永沢屋に支店を出してここが本店でしたね。当家も永沢屋に出資していましたし、無論大沼デパートとも無縁ではありませんでした。
これは確か昭和の山形写真集の広告から写真を撮った記憶がありますが、この時期2000年閉店の松坂屋が向かいにあり、ほんと街は活気にあふれていました。よ~く写真を見ると「コロムビアテレビ」の看板があります。その隣が笹沼玩具店でした。
映画館がある所をみると、大沼デパートが近い場所ですね。この年当家ではテレビを購入しております。無論真空管テレビで映る状態でしたが平成2年当家の改築時処分してしまいました。勿体ない!お爺ちゃんが寝たきりに近いとは云え在宅でしたから残りましたが、17歳だった私はお袋やお婆ちゃんの云う通りにせざるを得ません。2人とも物は残せない性格ですからね。
まぁ、改築時にこの車は廃車でしたから、それが残っただけで良し!としましょう。一旦上に積んだごみはこの頃捨ててくれました。
書類がない!とはこの時点では夢にも思わず、いや書類を私は重要視していませんでしたし、意味が判りませんでした。それに関係者探しで物凄い難航するとも思いませんでした。
この時代私の愛車は写真の中を走り回ったとは思います。無論自家用車としてです。
〇部天皇が山形県を我が物とて隆盛を誇ったこの時代、政治家も反論できない暗黒時代でもありましたが、山形市は結構華やいでいたとは思います。然し〇部天皇がやった行為はバブル崩壊後とんだ誤算を引き起こしてしまいます。
山形に限らずやがて「百貨店ゼロ道府県」が新たに誕生する可能性があります。昨日挙げた以外でも一番の悲劇は県庁所在地が日本で一番隣県と接続しすぎ、それも政令指定都市と弱小県庁所在地ですしね。
そして何よりもバブル崩壊後の時の政府の対応が、より少子化ばかりか地方経済の破綻を誘導しました。自民党をブッ壊す!とカッコいい事云っていましたが、個人的恨みの為郵政民営化をする為地方をいや日本をブッ壊しました。氷河期世代対策は時の政権がしなければなりませんでした。・・・・・・一番の責任者はあの時自民党を圧勝させた時代の有権者や選挙を棄権した者の責任は大きい。
今初孫が生まれ恵比寿顔になっている元総理ばかりに責任は押し付けられない、それ以前の政治家や総理の責任だって重いし当時も今も選挙を棄権した者は更に重い責任がある。
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