この車自慢の装備であるトランククーラーの一部整備を今回紹介します。

 1963年当時26000台程生産されたRS41の中でクーラー付は大凡3000台~4000台程度です。ダッシュボード下に付くダッシュタイプはそのうち2/3程度、我が家の様なトランクタイプは残り1/3程度だと思われます。

 クーラーはダッシュタイプが13万円、トランクは18万円程ですが、取り付け工賃となるとこれを含めると前者は20万円~25万円後者は60~70万円程度まで膨れ上がり、おいそれ誰しも取り付ける事は出来ませんでした。更にこの料金に物品税10%が課税されました。

 

 それもあってトランククーラー付での残存車は非常に少なく稼働状態となると恐らく私の車だけだろうと思われます。特にレストア当初破損させたクーラーダクトを探しましたが、1台分は忘れ得ぬ整備1で出したあの廃車だけは見付けましたが、当時は到底取り出せる状態ではなく発見から15年の歳月を待つ事になりますが、初めは当時のツテで発見したクラウン8用でした。

 

 基本的にはレストア終了時のままで使っていますが、改良点が今回の記事です。

 実はこの車のオーナーさんから初めに使っていたクラウン8用と交換して頂きました。既に私の手元にもこのダクト付きの写真が見当たらず、当初はこんな感じであった事をイメージして下さい。

  このエイト用の欠点は後部席では冷風が直に当たり快適ですが(でもこれはスーツを着た場合、薄着では寒過ぎます)運転席には殆ど来ませんでした。その為イライラしてしまい、次に書くブツを仕入れました。

  この車実はクーラーは初めから付いて居ませんでしたが、何故か63年式用オリジナルダクトが付いていたそうです。これについてはオーナーさんは「どうかなぁ?」でしたが一つ思い当たるフシがありそちらを書きます。

 クールファン!(ドラえもんの声でイメージしてください(笑))

 これはそもそも、先に書いた通り当時の自動車用クーラーはトンデモナイ価格でしたから「せめて雰囲気だけでも」とカークーラー型の扇風機が発売されました。車種を問わず当時は売れました。恐らくですが当時本物のクーラーを付けた人はこれを取り付けるオーナーは居なかった筈。更にこれを手に入れた2007年は異常な暑さで我慢ならない!と取り付けました。

 で、これが発見当時で2015年。この時点では本当にクーラー付と思っていましたが、話を聞いていくとんん??となりました。

 

 先ずはこの車のトレーは本来は水色。然しグレーでした。幾ら当時でもグリルだけ付ける何て人は先ず居ませんでした。どうもあの当時の話考えるとあの車が関わったと考えてしまいます。2005年頃この車が北関東地方で積載車に載って走っている姿を見たと目撃談があり、その少し前の2003年~2004年頃このダクトが付いた廃車が秋田と青森の県境にあった事を確認して居ます。

 その時の状態がフロントガラスが最終型RS41系用でフロント周りが除雪時誤ってブルトーザーでぶつけてしまい、潰れて居ました。但しトランククーラーのダクトがとても程度が良く、温度SWの位置までは確認をしませんでしたが、その後タオルを掛けて劣化を持ち主が防いでいました。それが忘れられません。この時は丸ごと引き受けが譲る条件でした。

 

 1998年頃私は歯科医になり、今の愛車は一先ず諦めて、旧車発掘に長けた古くからのマニアならご存知世田谷にかつてあったスズキ城南さんに依頼。今も岩手でやっていますがその時出た話が「コモブルーメタリックならある」の話でした。つまり写真の車です。エスワンさんだけあり程度は非常に良いですが、私はインペリアルマルーンメタリックか黒を希望ですからこの時丁重にお断りしましたが、その後2005年までの期間は判りませんが、2004年以降秋田と青森の県境にあったRS41を手に入れて良い所を入れ替えしてあの姿になったと云うのが正しいと思います。

 

 あの当時ですからこの間緊急事態で書いたクラウンGS130で行きました。中古購入し約8年で13万キロ走ったのも部品を求めあちこち走った為でしょう。

 写真の左端に有るダイヤルは温度調整SW。これは63年式のみですが、私はこれをオリジナルだとは思わず修理時取り払いました。まさに後の祭りですね。昭和52年(1977年)東京の伯父(当時49歳)運転で親父(当時33歳)と秋田県稲庭町に出掛けた際、これを弄って強冷房をしてしまい、アイシングを起こして伯父に怒られた記憶があります。                                              読むにあたってにありますが伯父は3年程前から寝たきりになり都内の特別養護老人ホームに入所し、親父はその10年後に亡くなります。

 イベント終了後これが届いてから入れ替えましてこれまで使った物は、こんな状態です。

 やはり日が当たらない所とは云え40年近く放置とあり劣化が激しいです。

 

 特に吸気口は脆い作りですから余計脆い。

 比べるとその差歴然です。

 クーラーダクトを完全交換しました。更にこの時クーラーの改良整備が冬に行われました。

 実はこの頃まで温度調整SWは昭和50年代に見られたゴッツイタイプでやっていました。なので余りクーラー廻りの写真は昔は撮影して居ませんでした。配線引き直しをした2012年頃昭和42年式のクラウンSから外したASSYを手に入れましたが、肝心なSW本体がダメで配線が駄目になっているそうですので、暫くはダミーでした。

 その2年後辺りかも知れませんがクレームと云う形を応じてくれて着払い条件で無償でこのASSYを譲ってくれました。実はこのSWはそもそも滅多に壊れる事はなく、私の車も同型のSWを取り付けたと思われる痕跡があり、乱暴にもぎ取った様で変な残り方でした。これも故障かな?昭和52年の6月か7月に秋田へ行った時作動を確認したので、それ以降取り付けでしょう。何だか私にはこのSWは良縁がない。

 

 ですから当然こちらは正常作動でした。製造は昭和41年(1966年)2月製造です。漸く良縁に恵まれました。

 

 SW本体は故障して居ましたが、昭和42年から付いたのでしょうか?過冷房防止装置が付きこちらは生きていたので、ガンガン冷やし続ける事は危険なのでニコイチして今の姿です。因みに42年式は3月に製造されました。

 尚単純に入れ替えればいいと思っていましたが、結構面倒な作業でこの作業に応じてくれた整備士さんに感謝します。

 その甲斐あってダッシュ周りは配線も綺麗になりました。

 で、これが付いていたゴッツイSWです。

 ハザードSWは事前に配線引き直しの際、使いやすい様に本来はCMP作動確認ライトでしたが移動して昭和42年製の物を生かしました。

 

 FANのSWですが、本体は新車当時の物ですが黒いノブは昭和42年製造のクラウンスーパーデラックスから外した物を移植しました。元の物はFANが紛失し、ノブも煙草のヤニで汚く交換しました。因みにこのスーパーデラックスは書類がないけど非喫煙車でした。

 我が家の車はヘビースモーカーが4人乗っていた代物ですから悲惨です。(因みに曾お爺ちゃん、東京の伯父、大叔父、そして2代目市長)

 因みに温度調整SWも喫煙者ではないか?と思われる様な煙草のヤニの跡が感じられました。私の車よりはヤニが強くない感じです。

 これは作動時の様子です。暑いときは初めはこの辺りまで調整し、その後低くします。でないと寒いです。

 クーラーダクトで書き忘れましたが、オリジナルに戻したら、クラウン8の時の様な後ろだけに特化した冷え方ではなく、位置調整で運転席も十分冷える様になりました。

 実はこのSWデザインが非常に気に入っています。オリジナルではないけど使いやすいし、しっくりします。

中央にある「デンソーカークーラー」はこのSWの車輛と共に手に入れました。品川区内に有った車で、1993年にオーナーが亡くなり未亡人が2010年頃まで手放さず野晒でしたが残していました。結構こういう話が都内で2000年前後までありました。私のお袋やお婆ちゃんはもう未亡人ですが夫々の夫が遺した物は亡くなって程なくして全て捨てました。結構強いでしょ?それに物が残りません。

 尚後で確認しましたが、赤い棒で示した場所に間違っても合わせない様に。

 さもないと故障、或いは寒過ぎますから。

 配線(温度感知)を通しています。これが生きていますから過冷房と判断されると「カチン」と音がして冷却を休めます。

 綺麗になりこんな具合になりました。

 

  この位置から見るクーラーは良いです。カーテンがヒラヒラすると当時は嫌味も良い所でした。「この髙村ヤローめ!」と当時はなった筈。

 オマケ:タイロッドエンド交換。確かクーラー整備とミッション修理と同時に行いましたが、レストア当初使った当時トヨタ共販で出た非給油式のタイロッドエンドが多分整備の問題でダメになり親戚のタクシー業者の倉庫から出てきたRS20用を使いました。

 当時の品番。今とは違います。

  関山旧道にある啓翁桜の畑にて。此処も昭和43年までは国道でした。

 

   より使いやすいクーラーになり、クーラーのエバポレーターは毎年清掃して居ますので快適ですよ。私は非喫煙者ですから汚くない。