東京五輪の聖火ランナーが走ったコースですが、山形県は第3グループに入り、北海道から青森県ー秋田県ー山形県ー新潟県ー群馬県ー\埼玉県ー東京都と引き継がれて聖火台に点火されました。
 
 山形ルートは県内ですと現在の県道22号線が当時は国道13号線でした。現在の国道13号線は当時は工事中ないし未供用でした。
 ルートでは有りませんが旧栗子峠は廃道マニアの聖地の部分が現役だった頃です。(現栗子峠は昭和41年5月29日開通)
  山形市内に入り当時県庁は国道112号線沿いでしたので、13号線は山形北部までで、山形市元木方面から113号線に沿って新潟に行きます。
 
 恐らくですが、山形ー新潟ルートは難路であったと思われます。特に角脆弱なルートでマトモな隧道は無く当時は建設中だった宇津井峠も僅か20年で廃道にせざるを得ない状態で、ランナーも苦しかったかも知れません。
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 写真は関係ないですが、聖火ランナーのシーンが有ったので。後ろはプリンスグロリアですが、確認が取れませんがもしかしたらS40D-2型であるならば今もこのモデルが残って居るかも知れません。プリンスガレージかとりさんが所有されて居ます。
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 日の丸飛行隊。
 
 以前紹介しましたが、お袋の従弟が指名されましたが、残念ながら殉職し別の方になりました。
 恐ろしい事に、当時不具合が有る機体でも練習時間を長くしないなら飛行許可を下したそうです。無論それ相応の腕が有るパイロットでないと許可は下しませんが事故が多発する訳です。
 
 それと、意外に知られて居ませんが、前日の10月9日は東京は土砂降りで夜中まで雨が降って居たそうです。その為飛行隊員は皆「明日は雨だから、飛行隊ショーは中止」となって、皆で酒飲みをしていたそうです。然し・・・・10日の未明には雨が止んで、段々日が昇り快晴となって、「ヤバイ!」となり大慌てでほぼ「ぶっつけ本番」であのショーをやったと云われて居ます。
 
 万が一お袋の従弟が此処で・・・となれば・・・・
 
 でも当家としては家族の意見にも耳を貸さず自分の夢を貫いたので、一切の賠償は請求しないとしました。ひいお婆ちゃんは39年以降体調を崩してしましましたが、ひいお爺ちゃんは気丈でした。