植物の名前であると同時に
本の名前です。
小5の時始めて読んで
当時は難しくて、
中学入ってからもう1回読んで
昨日また読み直しました。
児童書の中でも
凄い印象を受けた本でした。
舞台は1937年のワルシャワ
ナチスのユダヤ人迫害の時代を、自分のことを何も知らない少年が生きていく物語です。主人公はワルシャワの街からゲットーの中に移送され、命からがらに生き延びて最後はアメリカへ渡ります。
何も知らない主人公は
生きる術を教えてくれる人と
生き方を示してくれる人に出会います。
そして、今度は自分が教えなければならない人が現れるのです。
生きる術を教えてくれたのは勿論ウーリーです。ウーリーなしでこの物語は語れません。
彼は主人公にミーシャという名前と過去も与えてくれます。頭も良くて先を読み、沢山情報も持っていました。謎だらけですがミーシャの世話を焼き、弟のように可愛いがります。ミーシャはウーリーが大好きで慕っているし、甘えられる唯一の存在でした。
でもウーリーは、ミーシャに家族ができる頃には徐々に距離を置きます。赤毛を武器にうまく立ち会って、自分がジャックブーツ側になると共に、ユダヤ人の仲間を逃がそうとします。
塀の向こう側から食べ物を投げて、しばらくミーシャに持ち込み屋をさせなかったのもウーリーでしょう。
ウーリーは生きる意志が強く、格好良いです。彼は最後までミーシャを守っていました。ミーシャはウーリーの愛をいっぱいいっぱい貰って生き残りました。
私は、ウーリーの真似をして自分まで孤児院に食糧や石炭を届けに行くミーシャが大好きです。
勝手な私の解釈ですが、ウーリーはコルチャック先生の孤児院で育ったのかな、と思っています。二人ともミーシャに服をあげてミーシャを愛していました。
「優しいおバカさんだ」
この言葉は印象的でした。
そして、心配して朝には孤児院に駆け付けていたウーリーは、ミーシャを殴りませんでした。
ミーシャとウーリーの関係は兄弟であり父子であり、本の中でも鮮やかに色がついて読みとれます。再会したらどうなったんだろう。でもウーリーは見てみぬ振りしそうだな。勿論ウーリーも生き残ってるに決まっています。
だってウーリーだから。
次に、生き方を示してくれた人です。それは薬剤師でありユダヤ人の、ヤーニナのお父さんです。彼はミーシャを、家族として受け入れます。でもこれはミーシャが食べ物を運んでくれるから、都合がいいからだろうと読みながら考えていました。
しかし、ヤーニナのお父さんは自分のピクルスを、ユダヤ人から寝返りキリスト教徒になろうとするおじさんにあげていました。
ここで私は恥ずかしくなりました。ヤーニナのお父さんの器は計り知れないです。
お父さんは誇り高い人でした。ゲットーの中で、微笑みも思いやりも、何より愛を忘れない人でした。
本当はお父さんが誰よりもユダヤ人の立場を理解し、ヤーニナやミーシャを思って、現状が辛かったと思います。
ヤーニナはそんなお父さんが大好きだから、言いつけを破り危険を犯して持ち込み屋をやったし、逃げろという命令に背いて、壁を越えてもお父さんの元へ絶対戻ろうとしました。
ミーシャもお父さんの真似して微笑もうとしています。孤児のミーシャにだって、お父さんが魅力的に見えたのでしょう。
他人を思いやる気持ちを持ったお父さんと、アンネ・フランクに通じるものがあるのかな、とふと考えました。
これは深読みしすぎですかね。
最後にヤーニナ。ミーシャが生き方を教えてあげなければならない女の子です。
ヤーニナは最初はお嬢様として登場するも、無慈悲な現実に空腹を知り、母を亡くし、地獄を知ります。
ミーシャにとって、たった一人の自分より小さい、守る人でした。自然にその存在を『妹』として認識します。
最初はヤーニナは明るい女の子でした。次第に笑い方も変わり、子供ながらに現実を受け入れます。そしてミーシャの真似をし、一丁前に持ち込み屋になります。
天国から無事に帰るには、心得が必要です。ヤーニナは全くわかってない。ミーシャは強情で聞き分けないヤーニナにかなり手を焼きます。(読みながら私もイライラしました)でもミーシャは常にヤーニナに気を配っていました。
やがて、ミーシャはヤーニナを扱う一番いい方法を見つけたと、昔を思い返しています。ここでミーシャは、自分がウーリーで、ヤーニナが昔の自分だと自覚しました。ウーリーのようにまず自分がヤーニナの手本になるように心掛けました。
これはミーシャの成長です。
ヤーニナが鬱になって笑わなくなりました。ミーシャはヤーニナを喜ばせる為に、卵を見つけようと頑張ります。ユダヤの腕章を外すのも忘れて夢中で探していました。
その後にウーリーはヘーゼルナッツ入りのチョコレートをゲットー内に持ち込み、ミーシャにあげました。
この2つの大好物を巡ったエピソードは、大人だったら存在しないでしょう。戦場の子ども達の優しさです。
アメリカに行っても、155cmのミーシャの心はずっとナチス時代のワルシャワでした。伝え続けようとする姿が痛々しいです。読んでてここが一番辛かった。
ミーシャは、会う人々にウーリーやジャックブーツの話をしても、ヤーニナの話はしませんでした。
なぜ喋らないのでしょうか。
『自分が何者か』という問いの答えが出ずに、ミーシャの時計は止まりました。
ヤーニナはミーシャそのものです。
ミーシャの影です。
ヤーニナの死はミーシャの死です。
受け入れるのに凄い時間がかかるのは当たり前だと思います。受け入れられた時、言葉になって話せるんだと思うんです。
『おじいちゃま』になったミーシャなら、娘にヤーニナの話をしてあげると思います。
だいぶ長くなりました。
コルチャック先生や孤児の一人一人にもフォーカスしたいんですが、疲れました。笑
こんな拙いダラダラした感想と、勝手な自己解釈を読んでくださりありがとうございます。足りない点が多いかと思いますが是非あとは自分で補ってください。
私がドイツに興味を持ったきっかけの本です。この本のおかげですんなり学ぶことができました。そしてとても衝撃を受けた本です。
この本の生きる強さ、逞しさに
私はとても惹かれます。
自分じゃどうしようもない過酷な現実を、強く生きる姿勢は いつの時代も同じだと思います。
ヤーニナのお母さんのように
現実に悲観して生きるのではなく
シェイプスおじさんのように
その場しのぎの生き方ではなく
ヤーニナのお父さんや
コルチャック先生のように
現実を受け入れて流されるのではなく
私は孤児達みたいに生きていきたいです。大人になる程難しい生き方ですが
それでも 忘れることはしたくないと思います。