人生コーチングをするにあたって”人の性格”について知ろうとするようになったことで自分の性格についてもわかってきた気がします。

 

 

わたしは特にジェラシーを感じることが少ない性格。

人に対して”うらやましい”が少ない分、「人に負けたくない」とか「人に比べて」とかそういった感情も出てきにくい。

 

 

そしてそれはわたしがとても恵まれた、人から羨まれるような才能の持ち主だったからというわけでは決してありません。

 

 

運動は全般苦手、勉強は平均、芸術はぽんこつ。家はお金持ちではないけれど不自由はない家庭。顔やスタイルがいいわけでもない。

 

 

小学生や中学生にとって大事な学校の中で見える才能でわたしは抜きんでるものはなかったと思います。

 

 

上手にできる子に対して「すごいな、わたしもできたらな」くらいは思いますが、

あの子に勝ちたい!悔しい!なんであの子はできるのに自分はできないのか。

なんていう発想はありません。

 

 

とても悪く言うと向上心のない子。

高校生くらいで自分は向上心もないし、努力も苦手、でもめちゃくちゃできないというわけではないから低空飛行で生きていこうなんて考えていました。笑

 

 

悪いこととは思っていませんでしたが、良いように作用する性格ではないかな、とも思っていました。

 

 

しかし、社会に出ていろんな人に会い、SNSなんかも発達してきた今。

ジェラシーがないことはすごく生きやすいんだと気付きました。

 

 

というかそもそもみんながそんなに人のことをうらやましがっていることにすら気づいていなかった。。

 

 

ここ数年で「マウントを取る」という行動を実体験し、うざいと同時に好奇心が芽生え、どういった背景でマウントを取ってくるのか勉強しました。

 

 

結局は自己肯定感につながってくるのですが、自己肯定感激高のわたしにはこれは勉強しないとわからない感覚でもあると思いました。

 

 

自己肯定感は幼少期の関わりがすごく高いようで、親や信頼している大人からの対応が影響してくると言われています。

もちろんそれは大きく関係があると思いますが、個人の性格も関係して出来上がってしまうものだなとも思います。

 

 

例えば同じ両親に育てられた私と弟でも、自己肯定感はかなり違います。

彼は人一倍、母からの愛に敏感で、なぜかきょうだいの中で順列をつけたがる。母が私だけをどこかに連れて行ったらそれをひどく悲しんで、自分だけと旅行に行ってほしいと懇願したそう。

(母は割とあっさりした人で子どもによって対応を変えるような人ではない。₎

 

 

わたしは弟と母がその当時に行った旅行のことを覚えてはいたもののそんな理由があったとは知らず、気にも留めていなかった。

そして自分にない感情なので人のジェラシーに気付くこともなかったのでしょう。この弟の感情を知ったのはここ最近の話。

母とゆっくり話す時間があり、知りました。衝撃。実の弟が近くで悩んでいたことも、その気がまだあることも、この瞬間まで気づかなかったのだから。

 

 

もちろん同じ親とはいえ、育った環境が全く同じではないので一概には言えませんが、ここには生まれ持った性格が関係しているのではないかなぁとも思います。

 

 

私の無関心が余計なマウントや他人と比べる気持ちを生まないのと同様に

彼のジェラシーがなにかいい方向に作用すればいいなと思います。