前回に引き続き、最近おきた事を綴ります。
年末に一度、ノロウイルスのような症状にかかってから1か月。
何事もなかったかのように暮らしてました。
妊活といえば、毎日の基礎体温を測る中で、平均温度が少し毎日高い日が続き、これはもしやっと生理予定日の1週間後に妊娠検査薬を使うのを楽しみにしてました。
日本から大量に買ってきた妊娠検査薬。今回使うのが初めてで、検査薬の中には生理予定日にすぐ検査できる優れものも。
それを使うのはまだもったいないなっと(すぐ妊娠できないと思っていた)安かった検査薬を使うことに。
検査予定日の前夜、悲劇は幕を開けた・・・
嵐は突然、激しく嘔吐・下痢を繰り返し、出るものがなくても苦しみ続け、それは翌朝も昼も続いた。
今回は、前回と異なりずっと痛みが消えず、意識が遠のきそうなくらいの体力の消耗に加え、だれにもトイレを譲れない状態だった。
そんな私を見かねた旦那は、辛ければ救急病院に行くかっと聞いてきた。
私は、救急病院に行けるものなら行きたいが、トイレと友達になり過ぎて、トイレから離れられないっと叫び、辛さのあまり八つ当たりした。。。(最悪ですね・・・)
その後も、顔が真っ青になりふらふらしながらトイレとソファを行き来し、少し自分にゆとりが出来たかもっと思った瞬間に旦那に「今がチャンスだから病院へおねがい!!」っとお願いしました。
そこで、旦那がまずは妊娠検査して行こうっと。。。
またいつ具合悪い波が来るかもわからないのでそんなことしてる場合じゃないっと思いつつも、もし妊娠していたら色々処置に差が出るから子供が危険にさらされるという事で検査することに。
ぐったり、どんよりしている中で検査薬を使ったところ、「陽性」でした。
嬉しい反面、具合悪すぎてあまり喜べず、必要最低限をもってとりあえず救急病院へ向かいました。
トロントでは、救急車を呼ぶに当たり注意したいのがその人の症状や状況に応じて利用料を請求される可能性がある事。それは、300-500ドルともいわれており、私はまだ車に乗ることは自力でできたので、タクシーで病院に行きました。
病院につくと、そこではどれだけ重症患者かをアピールする・・もとい症状を説明する受付をします。カナダでは救急病院は、日本と異なり、薬中毒者、ホームレスで温まりに来ただけ、酒飲み過ぎた、ただの風邪で熱が高いが夜間で普通の医者に見てもらえないなど本当の救急ではない人が沢山やってくる。
また、普通の医者からも緊急でアレルギーテストやなにか見てもらいたい場合には救急病院にいってっといわれるくらい救急病院のしきいが低い。
それのせいで、前回旦那が指を挟みでさいて出血しているのにもかかわらず、待合室で5時間待たされた挙句に最終的に血がとまってから縫合してもらったせいか、その傷もうまく結合されておらず、待たされ疲れ最悪だった。
そんな教訓を生かしてかつ、本当に具合悪かったので「うぅ・・・・」「あぁあ・・・・」っと唸りながら検温や症状の説明をした。
案の定、すぐに病院の中に通され、ベッドに横になり、痛み止めも含めた点滴を打たれた。
先生にも会ってないのに点滴?っと思ったがこれには訳があった。
私のバイタルがかなり低く、気づけば全身寒気と意識が低下していた為、看護師がちょくちょく大丈夫かっと次々と暖かい毛布を掛けてくれた。
その後、少しバイタルが普通に戻った為、詳しい検査をすることになりました。
通常であれば、CTスキャンでどこに炎症があるのかを見るのですが、CTスキャンは放射線を使うため、子供によくないという事で妊婦でも使えるエコーを使って調べる事に。
これがすごーーーーく痛く、痛い部位をぐりぐりっと上からも下からも横からも押して調べるのですが、何しても痛い挙句に、空気吸ってー、はいてー、呼吸止めて、はい!っとこのはいの段階でカメラをぐりぐり幹部に押し付けてくるんです。
これが痛すぎて涙が出ました。。。
そんな痛いカメラも後半に差し掛かり、検査院のおねぇさんが 赤ちゃんは無事ですよーこれが赤ちゃんよーっと現在の状態を見せてくれました。
この時に赤ちゃんのサイズは6週目。最終月経開始日からは5週と3日位っという誤差でした。心拍数も確認できてひとまずは安心っということで痛い部位の検査結果を待つことに。
その後は、点滴と痛み止めを打ち続け、病院に来てから7時間ほど経った頃、ようやく初めて先生と会えた。
そのころには、傷みの部位が変わり、右下腹と背中が痛く、傷み止めが聞いていなかった。
それを先生に説明するも、検査結果はすべて問題ない。痛ければ痛み止めを飲んで乗り越えてっと軽くあしらわれ、その日は帰宅した。
そして、案の定痛みが続き、傷み止めをのみその日は耐え忍んだ。
このころは、下痢のしすぎで痔が猛烈に外に出てきて炎症を起こし、むしろそっちのほうが痛いかもっというくらい腫れていた。
この時は、ただただこの痛みたちが早く消えてくれることを祈って横になり次の日が早く来るよう横になった。悪夢は夢ではなかったっというのが実感へと変わるその時まで・・・
続く。