久々に小平市の西武多摩湖線沿線にある

病院へ患者様をお連れしました。
多摩湖線は西武遊園地駅から国分寺駅までを結ぶ

9.2㎞の路線ですが、ほとんどは途中の萩山駅止り。

国分寺~萩山駅間は約4㎞しかない単線です。

多摩湖線は以前はホームが短く17m級3両が限界。

そこはかつて西武351系電車の独壇場でした。
ホームを改良して20m級の車両が走れるようになった

平成2年6月30日まで、西武線最後の赤い電車が

多摩湖線の主役でした。

昭和29年に製造された351系、その中間車311系は

戦前に製造され戦災に遭った国電払い下げ車両。

黄色い電車が増えていく中、最後まで残った

西武鉄道自慢の高性能電車だった351系。

廃車後に練馬区にある病院の理事長が1両を引き取り

自宅の庭に静態保存してましたが、残念ながら

平成8年に車両は解体処分されました。

その多摩湖線にある駅「青梅街道駅」
東京の主要幹線道路である青梅街道の脇にある

小さくてかわいい駅です。

真横は車の往来が激しい通りですが、
何かローカル線的な雰囲気を持ちます。
先ほどリピーター様のご自宅に行ってきました。

お線香を上げに・・・・。

6月中旬に山中湖一泊へお連れしたリピーター様。

7月に体調を崩されご入院されてたそうです。

ご本人は今回は山に行ったので次回は海の見える宿に行きたい。

そうおっしゃってましたので、海が見えて機械浴ができる場所を

何か所かピックアップして、そろそろお手紙をご家族に出そうかと

準備してる矢先でした。

今日ご家族にお聞きしたところ、ご家族はある程度覚悟してたそうです。

それも山中湖に行く前から・・・。

肝臓がだいぶ悪かったそうです。

でもご本人は富士山の麓まで行かれた事を大変お喜びだったとの事で

タイミング的には良かったかもしれないとご家族は話されてました。

ご本人は九州の出身で、新幹線の車窓からしか富士山を見た事が無い。

それで富士山を間近でご覧になりたかったそうです。

旅行から帰られた後は富士山と書かれたTシャツをずっとご愛用、

ご入所されてるホームではスタッフや他のご利用者様から名前でなく

「ふじさん」と呼ばれてお喜びだったそうです。

棺にはホテルの部屋から撮った「赤富士」の写真を入れたそうです。

四十九日の法要が終わったら、故郷の福岡のお墓に納骨との事です。

ご家族も今回旅行に行かれた事に大変感謝していただきました。

M様、海の見える宿にお連れできなかったのは本当に残念ですが、

今回の旅行を始め、一時帰宅や通院に何度もご利用頂き

本当にありがとうございました。

これからは空の上から思う存分富士山をご覧になってください。

ご冥福をお祈りいたします。
大相撲名古屋場所も横綱白鵬の30回目の優勝で終わりました。
今場所は高安や大砂嵐など幕内力士も話題になりました。
しかし残念な話題も、
三役格行司、第16代木村玉光
1950年生まれの64歳であられます。
玉光さんは昨日から休場されました。

実はこの方、
※取組中に装束が破れるハプニング。
※朝赤龍の四股名を「朝青龍」と呼び間違え。
※土俵下に転落し、肋骨骨折で休場。
※愛知県体育館から引き上げる際に右足甲を負傷、休場。
※立行司39代式守伊之助襲名が内定していたが体調不安のため辞退。
※脳梗塞を患い6場所を休場し、大相撲トーナメントで復活。

と数多くのエピソードがあります。

そして今場所9日目の大関稀勢の里-前頭5枚目千代鳳戦で転倒。
転倒しながらも顔は取組をしっかり見てて軍配に間違いはありませんでした。
さらに13日目の、安美錦-玉鷲戦でまたしても転倒。
転倒した玉光の装束で足を滑らせ安美錦が変な落ち方をしました。
別に木村玉光個人を責めるつもりはありません。
体調不安を理由に立行司を辞退したり、
脳梗塞を患った身体ですから動きが鈍くなる・・・
これは仕方ない事だと思います。

ではなぜ、そこまでして行司をしないといけないのか。

これは「伝統」による弊害だと考えます。

ご存じのように力士はそれぞれの相撲部屋に所属します。
実は行司・呼出し・床山さんも各部屋に所属します。
ゲームを裁く人がチームに所属してるなんて競技は
おそらく無いと思います。

行司になる資格は中学卒業して19歳までに入門が条件です。
力士も体格などの条件がありますが、ほぼ同じ年齢からです。
大学出身力士は幕下付け出しからスタートしますが、
一般的には序の口から番付が始まります。
行司も同じで序の口の相撲から裁き、年数や技術で出世します。
現役力士の平均年齢はおよそ27~8歳です。
それに引き換え行司の平均年齢は53歳くらいです。(65歳定年)
スタートの年齢は同じでも土俵に上がる年数は倍近いのです。

相撲部屋の規模によって若い行司もいればベテランの行司が多い
部屋もあって構成はバラバラです。
行司自身も自分が所属する部屋のメンツも考えるでしょうから
やっぱり休場は避けて無理してでも出場する状況になるでしょう。

自分の考えは行司が部屋所属ではなく、独立した部署に所属すれば
若手育成やベテラン行司の健康管理ができるのではと言う事です。

以前「行司部屋」という部屋を作り独立した時期があったそうです。
それが何故廃止されたかは不明です。
伝統を重んじる相撲界では時期尚早だったのでしょうか?

プロ野球の審判のように若手の教育から始まり、
2軍の試合の塁審からスタートして主審を務め、
技術を磨いて1軍の試合でジャッジできるようになり、
最終的には現場を離れ指導者として若い審判の育成をする。
これは審判員という立場が、球団や選手と別の独立した部署だからです。

それに比べて相撲の行司という立場は、相撲部屋に所属という、
いわば力士と同じ扱いになってしまう訳です。
勿論同じ扱いと行っても立場は全く違うので極論かもしれません。

もし行司という職業を、日本相撲協会の中で独立した部門にしたならば
行司としての教育や取組の裁き、行司各々の健康管理を効率的な形で
行えるのではないでしょうか。

行司が出世するためには試験があるのかどうか知りませんが、
最近は動きの速い20代30代の関取の取組を50代60代の行司が、
まさしく同じ土俵に立つのは無理が来てるのではないでしょうか。
土俵下で審判として座ってる親方の方が行司より若い人が多いです。

最近は立行司、式守伊之助や木村庄之助を襲名しても、
僅かの期間で定年退職を迎える人が多いように思えます。
例えば30代40代で三役格の行司となり、50代で立行司。
50代半ばになったら土俵を離れ指導者として後進を育成する。

行司という由緒ある職業を希望して入ってきた方も多いと思います。
その人たちが怪我や病気で退職を余儀なくされる事のないように
伝統を重んじることも大事ですが、必要な場合は伝統の殻を割る時期に
相撲界も来てるのではないでしょうか。