私はこれまで病気になって以来



「なぜ私が難病にならなきゃいけないの?!」




「もし病気じゃなかったら、どんな人生だったんだろう」





と思ったことがなかった




「病気はメッセージ。だからただ前向きに受け止める」




しか考えてなかった。そこに疑いはなかった





病気に苦しむ私の姿を見て苦しむ夫、家族の顔も見たくなかったから、無意識に気丈に振る舞っていたとも思う





泣きわめいて、人に同情されることにも慣れていなかったから泣き言は言わなかった





だから入院中も優等生だった




ハワイの病院でも日本でも、看護士さんから信頼された。褒められた

 

 

 

 

言葉があれば「模範患者」?笑





でも今、無意識層にたまった30年分の悲しみや我慢、涙が解放される中で、やっぱり病気に対しても感情を抑え込んでいたと気づく





いじめの経験と同じなのだ




泣いてもわめいても病気がよくなるわけじゃない




誰も病気を治せるわけじゃないし、泣きわめいただけ人に迷惑かける




この命の危機を乗り越えるためには、自分が前向きに毅然とした態度で病気と向き合うしかない





そう思い悲しみ、不安、弱い心を感じるセンサーを切ったのだ




*




難病じゃなかったら、私はどんな生活をしていただろう?





難病になって失ったもの・・・

 

 

 

 

これまで難病になって得たものを数えたことはあったけど、失ったものを数えたことはなかった






走ること、泳ぐこと、アウトドア、長距離旅行、そして滞りなく流れる日常生活・・





その代わりについてまわる「肺に穴が空いたらどうしよう」という不安






私、ツラかったんだな




難病になって悲しいんだな

我慢してきたんだな
無理してきたんだな




病気になったのは自分のせいと、ずっと自分の責任にしてきたんだな

 







そして今、感情解放とともに肺の調子が悪い




胸のつかえ、息苦しさ、だるさ、いつになっても消えない胸や背中の痛み・・・




つらいし不安だし、悲しい。弱気にもなる





でも、もう無理してその感情をかき消す必要ない

 

 

 

 

誰かのために気丈に振る舞う必要ない





病気と向き合うとき、いつもいつでも前向きでポジティブで、強い人間である必要もない




弱くて、弱音を吐きたくて、悲しくて、泣きたくて、嘆きたくて・・・

 

 

 

そういう自分がいて当たり前なのだ

 

 

 

 

そういう自分の居場所を作ってあげよう

 

 

 


その感情、その存在、まるごとそのまま受け入れよう