ソシュールの言語学を学んで以来明らかにあらゆる物の見方が変わった。本当の意味での自然を感じれるようになった気がする。たとえばキャンパス内の林道を歩いても刻一刻と変わる自分を取り巻く自然の多様性に驚く。というより感服する。木々が風に吹かれてザワザワいっている。このザワザワは二度とこの宇宙には起こらない。一刻一刻が奇跡に満ちている。これを有限の言葉でつかみ取ろうなどということは到底不可能である。

古代の人間はそれに気づいていたのかもしれない。しかしこの変化に富み無限の自然の中で何とか生存していかなければならなかった。だからこそ自然をまがいなりにも秩序立て制服しようとした。それが科学であり宗教であり芸術である。


現在、生活が豊かになったがそれに安住していたのでは人類の発展はない。創造性を働かせて新たなる境地へと勇気を持って踏み込むべきだと思う。



真夜中、友達の家から帰る途中の静けさが心にしみた。この美しさをどうとらえろというのか。

イスラエル軍によるパレスチナの占領は日に日に最悪を更新している。これが世界人権宣言から60年経ったパレスチナ人の現状である。生きる尊厳が破壊された人々は仮設されたコンクリートの難民キャンプに閉じ込められている。世代の数だけ高く建設されたコンクリートの住宅からは故郷に帰ることがでいない難民の苦しみ、悲しみが滲み出ているらしい。

そのような状況下に生きる希望などもはや見当たらないだろう。パレスチナの青年ジハードは言った言葉は印象的だった。「生きる希望があると信じたい」



私たち日本人はこの占領下のパレスチナの問題と無関係ではあるまい。高校2年の時に訪れた沖縄に横たわる広大な米軍基地は忘れられない。それは水和できない油のように見えた。

幸いにして占領などの災いを受けたことのな幸せな私たちはこの状況をただ傍観していたのではいけないはずである。大事なことはマスメディアの流す情報を正しく判断し正確な知識を身につけ自分がいつかそのような問題に遭遇した時にしかるべき態度で臨むことだと思う。それが回りまわってコンクリートの牢獄の中に生きる希望を灯すことに繋がることを信じたい。





有性生殖によってより強い遺伝子を持つ子孫を残す

多細胞生物は細胞分裂によって子孫を残す方法を選らばなかったのか。なんで性というものを作ったのか。答えはそこにある。


私たちの体は常に入れ替わっている。1年後には違う物質である。私たちの生とは細胞の死である。細胞の死が止まる時私たちも死ぬ。傷を負った細胞がいつまでも蔓延っていては子孫の繁栄はない。私たちは死というものの本質を考えなければならない。延命治療による人口増加に伴う食糧難は本質ではない。

死の本質をとらえることは有限の生への希望、情熱、歓喜に通ずる。


練習の成果が出たのか。少し高い声出るようになった。ドーパミン分泌の回路が回り始めた気がする。その調子その調子


音楽練習室の帰り道に見た中秋の名月は丸く輝いて綺麗だった。