【未公開記事】 2009年公開 水戸城の門扉

今からさかのぼること2009年。 いつだったか忘れたけど、2009年、水戸市役所1階ロビーで、坂東市万蔵院に水戸城大手門と伝わる門扉の公開が行われ、見に行ってきた。 扉は坂東市の万蔵院という寺に水戸城の大手門と伝わるもので、寺から水戸市へ寄贈され、水戸市役所で特別公開が行われたもの。

 

 展示パネルより

      水戸城 門扉 里帰り 

 坂東市の万蔵院に水戸城の門の扉があるという情報を得て、確認のために連絡したところ、現在も保存されているという回答をいただきました。そこで、現地に赴いて門扉の存在を確認し、門扉を万蔵院が保存する敬意をうかがいました。  それによると明治時代の半ばごろ、岩井地区から選出された茨城県議会議員 野口喜多治氏によって、水戸から当地に移されたとの事。1枚は野口氏の親戚の家で、もう1枚は近隣の家で保管されました。親戚の家で預けられた門扉は、こんにゃく製造工場で製粉台として使用されていたとも伝えられています。昭和20年頃、こんにゃく工場がなくなると、門扉は工場の近所の家へと移され、そこから万蔵院に預けられたという事です。  当地では、この扉を「水戸城大手門の扉」と伝えており、先代の住職のころより「扉は水戸のものなので扉は水戸に返すべきだ」という話が持ち上がっていたそうです。  今回、扉を引き取って水戸市で保管したいという水戸市の要望に対し、万蔵院のご住職は快く承諾下さいました。また、元の所蔵者につながる方からも当地に伝わるこの扉の来し方をお聞きする事ができ、およそ120年ぶりの里帰りが実現しました。 (2009年 水戸市役所展示パネル)


 

 

 

水戸城の大手門と伝わる扉が120年ぶりに水戸へ里帰り!

 

 

 

扉は少し赤い色をしている。 これを見た最初の感想は「意外とちいせえ~~」であった。古写真で大手門は見たことあるがもっとデカいのかと思った。 

 

 

 

左下に少し穴があいてる。

 

 

 

 

 

門扉にはこのような装飾が施されていたんだとか。

 

 

本物の水戸城 大手門

実際の大手門もこのくらい。大きさ的には同じくらいかもしれない。

 

 

      大手門古写真と門扉 水戸城大手門には、明治期に撮影された数枚の写真が残されています。大手門は、解体された時期がはっきりわかっているわけではありません。しかし、写真撮影が行われていることや、城址に学校施設(茨城県師範学校)が移築されていくなかで、城の遺構が取り壊されたのではないかなど、様々な事情を勘案すると、大手門は、おそらく明治20年ごろまでは残っていたのではないかと考えられます。  さて、古写真の門扉と今回帰ってきた門扉と比べてみると、大きさなどについてほぼ矛盾が無いことがわかり、門扉の構造や柱への取り付け仕様なども近世の城門の構造と違いはなことが、建築学的鑑定から明らかになりました。  ただ、金物の位置や飾り金物の形状などに古写真との違いが見えるため、今後さらに種々の可能性を含め、多方面から総合的な検討を進める必要があります。この門扉の検証が、水戸城の実像に迫る扉を開くものとの期待が高まります。 (2009年 水戸市役所展示パネル)

 

 
しかし! 
 
ブログ「日本の城」によると、この扉は本物ではないらしい。 え?まじ?実際どうなの? ブログ 日本の城 

2009年に坂東市のお寺から、水戸城大手門の扉と伝わる1枚の門扉が水戸市へと寄贈されました。しかしながらこの門扉は明治時代の大手門の古写真と比べても、大きさや金具の位置などに違いがあって本物ではありませんでした。それでもお寺に伝わる言い伝えなどから、この門扉は水戸城内のどこかの門の扉である可能性もあります。 (ブログ「日本の城」から抜粋)



 
 

 

というわけで、それから数年。 ブログにアップする事ももなくすっかり忘れ去っていた。 しかし、所蔵していた坂東市の万蔵院で水戸城の扉として言い伝えられているから、大手門扉ではなくても、水戸城のどこかしらの扉かもしれない。 この2009年に展示していた水戸城大手門と伝わる扉、ぜんぜん見なくなったが今頃どうしているんだろう? 今では展示していたことすら知る人すらいないだろう。 水戸城の扉、だといいな~~( ̄▽ ̄;)