小川六万坂処刑場 と古戦場跡








 以前からずっと探していた旧小川町にあったとされる処刑場跡をついに発見しました!!

 この処刑場は小美玉市・旧小川町の六万坂というところにあるという事で、おおよその場所は分かっていたのですがなかなか発見することができませんでした(´ヘ`;)

 月日は流れ、ちょうどこの前のお盆の時期。小川の親戚に墓参りに行った時ふと思い出しました。「そういえば、小川にも天狗党を斬首したという処刑場があるんだった。探してみよう」という事で、情報提供された情報を元に六万坂周辺をくまなく探してみると「六萬神社」というところが、まさしく幕末期に天狗党や水戸藩小川の郷士たちを無残にも処刑した処刑場跡なのでありました。 
                   





ちなみに、天狗党を処刑した処刑場跡と、それと思われる刑場跡が県内各地のいたる所に点在するので、分かるものだけ下記にまとめておきます。判明しているものだけでもかなりの数に及びます(汗)
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・赤沼牢屋敷     / 所在:水戸市東台2丁目   関連記事:赤沼牢屋敷の惨劇
・吉沼磔刑場     / 所在:水戸市吉沼町 関連記事:死者を葬りし土壇場と吉沼磔刑場
・吉田境橋行刑場  / 所在:水戸市元吉田町 (造成により消滅)         関連記事:吉田行刑場
・千束原        / 所在:水戸市元石川町付近(不明) 
・田彦原        / 所在:ひたちなか市某所(未調査)
・細谷村(揚屋の性格を持った獄舎) / 所在:水戸市城東五丁目(未調査)
・後台入合野     / 所在:那珂市後台付近   (未調査)
・吉澤刑場      / 所在:水戸市某所     (未調査)
・矢向井原刑場    / 所在:石岡市某所     (未調査) 
・百色山       / 所在:ひたちなか市三反田  関連記事:百色山戦場跡
・六万坂刑場      / 所在:小美玉市小川
・岩井の「馬捨馬」所在/ 所在:坂東市立岩井第一小学校校庭 現在慰霊碑のみ
  
その他水戸藩の郷牢⇒
小川(恐らく六万坂刑場)、潮来、馬頭、大子、部垂、太田、助川、下手綱 /(詳細未詳) 








さて、天狗党ゆかりの刑場跡、小川の『六万坂刑場』は一体どのようなものだったのでしょうか。

六万坂刑場の形態について詳しく書かれている郷土史書のの『ひたち小川の文化』を中心に見ていきましょう。

実に興味深い事が書かれています。





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  六万坂刑場
 
 
 小川宿の水戸街道の出外れに六万坂がある。昔、六万の兵が戦ったといわれる古戦場で、六万坂の周辺では昔に大きな戦争が二回あり、多くの戦死者が無縁仏になって眠っている。

 また幕末の天狗騒動では刑場になり、おもに天狗党に所属した他国浪士が斬られて、仮埋葬のまま放置された者が多い。
 明治になり一部の者は遺族の手で郷里へ改葬となったが、成仏できないであろう亡霊の話が、昔話としていくつか残っている。怨霊は、人間だけでなく馬にも及び、ご祈祷で救われた馬子数多くある。
 いつの頃から六万坂に桜が植えられ、今は大きく育ちその下に六万地蔵が建ち、お堂も改築になった。地元の老人衆が毎月八日に集まり回向しているが、とくに春秋彼岸には塔婆を立てて供え物を献じ、香を焚いて無縁仏の安らかな冥福を祈っている。









  六万坂の無縁仏についての故人の言

 
  ~稲荷坪故内田新次郎翁談~

 新次郎翁の母が幼少の頃、老婆に背負われて天狗の処刑を見に行った。母にはその記憶がなかったが、後日、母が老婆から聞かされた話では、

 ・「大勢の人が朝早くから集まっていた。斬られるときは目を閉じたり顔をそむけたりした。斬られるときは目を閉じたり顔をそむけたりした。斬られる人は何人もあり時間がかかったようだ」

 ・自分は(新次郎翁)六万の地所十三町歩を中村屋から一反歩一銭ニ厘の割合で山代を払い、下草刈りをし山の管理を任されていた。住宅建設その他で分譲を希望する者にはその斡旋もした。

 ・昔は夜遊びに出る若い衆の間で、六万の化け物騒動がしばしば起きた。笹薮の中に光る玉が息をついていたとか、無縁様の祠の中でうめき声が聞こえたとか、急いで通り過ぎようとすると追いかけてくる足音が聞こえたなど。噂が広がると無縁様の往来は暫時とだえた。
                                <ひたち小川の文化>





上記の通り、赤沼牢での斬首と同じようにここ六万坂刑場でも淡々と斬首が行われたのであります。そして、どこの本に書いてあったか忘れましたが胴体は付近の山に野捨てしたそうです。

 実に身の毛がよだつような生々しい記録でございます。なんて残虐なんでしょう!!(T∇T)

 昭和初期頃までは幽霊が出没すると噂になり若者の肝試し、いわば今で言うところの心霊スポット化していたようであります。成仏できない浮かばれぬ多数の霊が彷徨っていたのでござましょう。こうして小川町の史跡として刑場跡を残しているのは幸いであります。

 ちなみに、上の文中でもあったとおり中世時代にはここ六万坂で激しい激戦が繰り広げられたようだ。

自分も詳しくは知らないので詳しくは述べないが、園部城(小川城)の城主園部氏と小多加勢という者どうしが激しい戦闘を繰り広げ、双方とも多数の死傷者を出したらしい。

 六万の兵が争うとはなんかちょっと大げさな気もするが、そのくらい激しい戦闘を繰り広げたという事か??



六万坂合戦の図↓↓
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   現在の六万坂刑場跡




さて、現在の六万坂刑場ですが、現在は六萬神社境内にあります。

かつては噂により往来の途絶えたといわれる刑場前の通り、現在は住宅街になっているので地元の住民が頻繁に行き交います。

文中にもありましたけど、本当にここに幽霊が出るのかを地元の人に聞きたいのですが・・・ いや、やめましょう(笑)




現在の六万坂刑場跡(六萬神社)
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慰霊碑
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六万坂地蔵堂
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ごく最近に折られたと思われる千波鶴と献花。
地元の人により供養されているようだ。
ちょうど線香を持っていたのであげてきました。
浮かばれぬあわれな天狗党の霊魂に(´人`) 合掌。。。。


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地図



 六万坂刑場跡と、中世の戦場跡の場所を地図に示しておいたので、天狗党や中世の戦場跡等に興味がある方は是非行って見てください( ̄▽ ̄)ノ


<所在地:小美玉市小川  ココストアの反対側>
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