大震災から一週間が経過しました。

 ようやく、電気や水道など少しずつ復旧し、パンなど食糧が店頭に出回りはじめるようになってきました。しかし、ガソリンとカップラーメン・牛乳などはどこ行っても駄目ですね~ (´‐ω‐)=з 

 地震で閉店したままの店舗も徐々に営業を再開しました。早速通常営業を再開したジョイフル山新で安い2万円のテレビを買ってきました。映りはレグザより格段に悪いですがとりあえず間に合わせです。

 まだ水道など復旧していない地域も多く避難所生活を余儀なくされている人も多くいますが、とりあえず落ち着きを取り戻してきたところでもういちど今回の大地震を振り返ってみましょう( ̄ー ̄U)








    ■東北地方太平洋沖大震災■           ―被災地茨城の記録―






 2011年3月11日、14時46分。東北地方の三陸沖でマグニチュード9.0の過去に例を見ない非常に強い大地震が発生しました。この大地震は東北地方のみならず東日本全体に甚大な被害を与え、多くの死傷者を出し、3月21日(月)現在、死者・行方不明者を合わせて約2万1911人戦後。戦後最悪の死傷者数となりました。 茨城県の被害についてはあまり報じられておらず、県外の方には被災地としての認識はあまり無いようです。(長野県と静岡県でも震度6強の大地震があったようだが報道がなく知る由もない)

 そこで、今回の大震災における茨城の被災状況や被害についてもう一度振り返り、茨城県が被災地であることを県外・県内の方にも再認識していただこうと思います( ̄ー ̄U)











                                 崩落した天井 / 水戸市 三の丸市民センター↓↓
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                                      水戸市 上中妻市民センター↓↓
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燃料の精製所が供給をストップしたことによりペーパー類売り切れ。乾電池・水・カップラーメン・ガソリン携行缶も売り切れる






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道路はいたるところで陥没・液状化し通行止めに






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              陥没した常磐自動車道 / NEXCO東日本撮影↓↓
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           (現在常磐自動車道は三郷IC~いわき中央間で一部制限速度50kmで通行可能)

















海沿いの町では津波の被害。北茨城では最大で6m20cmの大津波。日立で5m以上、それ以外でも4m以上。










     津波が押し寄せ水没した大洗市街。11日午後、大洗磯浜町/茨城新聞↓↓
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             津波で陸に打ち上げられた漁船↓↓ 3月22日撮影
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大津波で乗用車などが散乱した。北茨城市大津町 /茨城新聞↓↓
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        津波が流れ込んだ大津漁港近くの住宅地では大量のがれきの収集が進められていた/茨城新聞↓↓
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                                大洗沖で発生した巨大渦↓↓(週間女性)
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 以上の写真をご覧いただくと茨城の状況が分かると思います。東京電力の計画停電の手始めに茨城など被災地が一番最初に回ってきたり、茨城産ほうれん草などから規制値を超える放射線が検出されるなど不運耐えないですが、少しでも茨城が被災地としての認識が広まればと思います。

 そして、宮城・岩手・福島の震災被害に遭われた方の一日も早い復興を祈ります。